アンドレイ・アンドレーエヴィチ・ロマーノフ
Андрей Андреевич Романов, Andrew Romanov
公 князь
生:1923.01.21−ロンドン(イギリス)
没:(存命)
父:アンドレイ・アレクサンドロヴィチ公 1897-1981 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
母:エリザベッタ 1887-1940 (サッソ=ルッフォ公ファブリツィオ・ルッフォ)
結婚①:1951−サンフランシスコ(1959離婚)
& エレーナ・コンスタンティーノヴナ 1927- (コンスタンティーン・アファナーシエヴィチ・ドゥールネフ или ドゥルノーヴォ)
結婚②:1961−サンフランシスコ
& キャスリーン 1935-67 (フランク・ノリス)
ギルバート・ロバーツ夫人
結婚③:
& イネス 1933- (フランツ・フォン・バヒェリン)
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
---|---|---|---|
エレーナ・ドゥールネヴァと | |||
1 | アレクシス | 1953- | ゾエッタ・レイシー |
カスリーン・ノリスと | |||
2 | ピーター | 1961- | − |
3 | アンドルー | 1963- | エリザベス・フロレス |
ミハイロヴィチ。アンドレイ・アレクサンドロヴィチ公の第三子(次男)。
両親の結婚は貴賎結婚にあたるため、本来アンドレイ・アンドレーエヴィチは皇族としての権利を持たない。もっともそれを言ったら、ロマーノフの姓を名乗ることも公を称することもできないはず。
第二次世界大戦ではイギリス海軍の軍人となり、一介の水兵としてソ連への物資輸送船にも乗り込んだという。
1949年、叔父ヴァシーリイ・アレクサンドロヴィチ公に誘われてアメリカへ。アメリカの市民権を取得する。以後、自身 «アンドレイ・アンドレーエヴィチ» ではなく «アンドルー» と名乗る。
1970年頃から絵画を習いはじめた。その教師イネスと3度目の結婚。現在は画家として展覧会などを開いているが、売れているのかどうかは知らない。