オルデンブルク家(オレンボー家)
オルデンブルク家は北西ドイツの、古くはあるがさほど有力ではない家系だった。14世紀、婚姻を通じてホルシュタインを獲得し、デンマーク王となるに及んで家格は大いに跳ね上がる。以後、こんにちまでデンマーク王位を独占し続けているほか、スウェーデン王位も何度か獲得している。本家も分家も16世紀以来ルター派。
ロマーノフ家初代のツァーリであるミハイールが、長女イリーナの結婚相手として、つまりロマーノフ家として最初の王朝結婚の相手として選んだのがオルデンブルク家のデンマーク王クリスティアン4世の子ヴァルデマールであった(残念ながら破談になったが)。
破談と言えば、女帝エカテリーナ2世の孫娘アレクサンドラ大公女の結婚相手とされたのも、オルデンブルク家(分家ホルシュタイン=ゴットルプ家)のスウェーデン王グスタフ4世・アドルフであったが、これまた破談となった。実はグスタフ・アドルフは、エカテリーナ2世にとっては従兄弟の子にあたる。
分家には大きくシュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク家(シュレスヴィヒ=ホルシュタイン家)とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ家(ホルシュタイン=ゴットルプ家)がある。
ホルシュタイン=ゴットルプ家
ホルシュタイン=ゴットルプ家は、本家がロマーノフ家となってロシア皇位を継いでいる。分家はスウェーデン王家(のち断絶)とオルデンブルク大公家。
ホルシュタイン=ゴットルプ公領は長年にわたってデンマーク王家とホルシュタイン=ゴットルプ公家とで争われてきたが(どちらも同じオルデンブルク家だ)、1773年にエカテリーナ2世が息子パーヴェルに代わってデンマーク王と協定を結び、これを割譲。換わりに受け取ったオルデンブルク伯領をフリードリヒ・アウグストに与え、かれがヴィーン会議で初代のオルデンブルク大公となった。
ただしパーヴェル以降のロマーノフ家は、ホルシュタイン=ゴットルプ公(正式にはシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公)の称号自体は手放していない。
オルデンブルク大公家は数度にわたりロマーノフ家と直接的な婚姻関係を結んでいる。
特にオルデンブルク大公ペーター1世の次男ゲオルクは、事実上ロシア国民となり、«準»ロマーノフ一族となった。以来代々サンクト・ペテルブルクに住み、ロシア軍人として活躍した。
以下、こちらの画像を参照のこと。なお、赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はオルデンブルク家。オレンジ枠は外国の君主。赤紫枠は女性。
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン家
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン家の一分家は19世紀半ばに本家の断絶後デンマーク王家を継ぎ(リュクスボー家)、さらにそこからギリシャ王家、ノルウェー王家が分かれている。エリザベス2世死後チャールズ王太子か孫のウィリアム辺りが後を継げば、イギリス王家にもなる。
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世は皇帝パーヴェルの4代目の孫。よって現在のデンマーク王家はパーヴェルの子孫ということになる。が、ノルウェー王家にはロマーノフ家の血は流れていない。
またドイツ皇帝フリードリヒ3世は皇帝パーヴェルの3代目の孫。つまり現ギリシャ王家には二重にロマーノフ家の血が流れ込んできていることになる。
以下、こちらの画像を参照のこと。なお、赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はオルデンブルク家。オレンジ枠は外国の君主。赤紫枠は女性。