ロシア学事始ロシアの君主ロマーノフ家

外国王家との関係

ブラガンサ家

ポルトガルはヨーロッパでも非常に珍しい国である。「汝姦淫するなかれ」と説くキリスト教が根付いたヨーロッパでは、私生児には王位継承権が一切認められていない。その中で私生児(の家系)が王位を継承したのは(キリスト教改宗以後では)ポルトガルだけ(わたしの知る限りでは)。しかも2度も、である。

 ブラガンサ公家は、ポルトガル王ジョアン1世の私生児から生まれた家系である。そのもとを辿っていくと、フランスのカペー王家にいたる。ムスリムとの戦いにやってきたその一族が根付き、ローマ教皇から王冠を戴いてポルトガルを建国したのである。
 ブラガンサ家は私生児から出た家系であるから、本来ポルトガル王位継承権を持たなかった。しかし1560年にアヴィシュ王家が断絶すると、スペイン王フェリペ2世がポルトガルを占領してその王位を兼ね、事実上ポルトガルを併合した。1640年、カタルーニャと呼応して蜂起したポルトガルは独立を回復し、諸侯はブラガンサ公ジョアンを王に選んだ。

 19世紀前半、ブラジルの独立ともからんでポルトガルの王位継承をめぐる問題が発生。ポルトガル王位はマリア2世からザクセン=コーブルク&ゴータ家(ヴェッティン家)の分家が継いだ。しかし1910年、共和主義者の蜂起にマヌエル2世が逃亡。王制は終わった。マヌエル2世に子はなく、サクソ=コブルゴ&ゴータ家(ザクセン=コーブルク&ゴータ家のポルトガル語読み)は断絶した。
 マリア2世と王位を争ったミゲル1世以来その子孫はポルトガル王を自称。現在も存続している。

 正教のロマーノフ家とカトリックのブラガンサ家は、直接的な婚姻関係を結んだことはない。ブラガンサ家の結婚相手は基本的にカトリックに限られていたため、間接的にも両家の間につながりはない(はず)。

 以下、こちらの画像を参照のこと。なお、水色枠はブラガンサ家。

▲ページのトップにもどる▲

最終更新日 07 03 2013

Copyright © Подгорный (Podgornyy). Все права защищены с 7 11 2008 г.

inserted by FC2 system