ロシア学事始ロシア用語の基礎知識

ロシア用語:フ

フィグネル ヴェーラ
1852-1943。革命家。ナロードニキからエスエルとなる。革命後は学究として活動。
フォーキン ミハイル
1880-1942。バレエダンサー・振付師。マリインスキイ、バレエ・リュッスで活躍した後、アメリカへ。『瀕死の白鳥』や『ル・シルフィード』その他の振り付けで知られる。
プーゴ ボリス
1937-91。政治家。ラトヴィア共産党第一書記(1984-88)。ゴルバチョーフに招かれて共産党統制委員会議長(1988-90)・政治局員候補(1989-90)。さらにバカーティンの後任として内相。バカーティンは連邦の根幹を揺るがしていた民族問題には穏健派として対処していたが、これに反発した強硬派として内相に送り込まれたのが、小数民族出身者だったプーゴであった。当然連邦の解体には反対し、八月クーデタの首謀者のひとり。その失敗を受けて、自殺。
『不思議惑星キン・ザ・ザ』
1986年公開のSF映画。と言うか、カルト映画。はっきり言って、監督や脚本家の頭がイカれているとしか思えない。いや、基本プロットは別にいいのだ。突然、別の星へと瞬間転移してしまったロシア人が、何とか地球に戻ろうと悪戦苦闘する、というもので、瞬間転移してしまった原因が不明な以外は、むしろありがちなアイデアであると言ってもいい。ところが、この、別の星の住人というのがいろいろとおかしい。個々のエピソードも変だし、様々な小ネタも奇抜なものばかり。映画自体も全体的にチープだし。こんな映画がなぜかロシアでは公開以来やけに好まれており(ゆえにロシアではカルト映画とは言えない)、登場人物のセリフがロシア人の日常会話で出てくることすらある。監督ゲオールギイ・ダネーリヤ。
プーシキン アレクサンドル
1799-1837。国民的詩人。ロシアで(ロシア人について)ロシア語を学ぶ者にとって、まっさきにうんざりさせられる存在。ロシア人のロシア語教師は、何かと言えばプーシキンを引用し、読ませる。しかしそれも無理はない。ロシア人はみな幼い頃からプーシキンを読まされており、プーシキンの詩の1編や2編を暗唱できないロシア人はいない。
フセヴォロド大巣公
1154-1212。ヴラディーミル大公(1177-1212)。キエフ・ルーシにおけるヴラディーミル大公の覇権を確立した。
プーチン ヴラディーミル
1952-。前首相(2008-)。現大統領(1999-2008、2012-)。
プティパ マリウス
1818-1910。バレエダンサー・振付師。フランス人。1847年にペテルブルグに来て以来、ロシア・バレエの発展に寄与。なかんずくチャイコフスキイの三大バレエをはじめ、多くの作品の振り付けで知られる。
冬将軍
冬の厳しさを擬人化した表現。特にシベリア高気圧を指す。
 また西ヨーロッパでは、ロシアの冬の厳しさを特に冬将軍と呼ぶことが多い。ナポレオンのモスクワ遠征に際して用いられたのが最初で、第二次世界大戦においてドイツ軍が敗退した要因のひとつにも挙げられる。もっとも、ナポレオン軍やドイツ軍の敗退には冬に対する備えが不足していたことも大きいとも言われ、一概に冬将軍だけに原因を帰すことはできない。そもそも冬の気温はロシアでも地域によって異なり、モスクワを筆頭にヨーロッパ・ロシアでは、平均すれば(特に近年は)西ヨーロッパと比べて特に低いわけではない。とはいえ年によってはシベリア高気圧の影響をモロに被り、モスクワでも -40°C に達することもある。
ブラヴァツキー エレーナ
1831-91。姓は、ロシア語としては、«ブラヴァーツカヤ» が正しい。神智主義の創始者で、19世紀末の神秘主義思想、オカルティズムを代表する人物。
ブラウザ
ほかに書く場所がないので、«ロシア用語» ではないが、ここに書いておく。ブラウザと言えば、日本では Internet Explorer が 50% のシェアを占め、Google Chrome と Mozilla Firefox が 20% 前後でこれに続くが、世界的に見ても、IE と Chrome & Firefox の差が縮まるぐらいで、大勢は変わらない。ところがロシアでは、Chrome、Firefox、それに Opera がそれぞれ 30% 弱で競っていて、IE は近年急落して第4位に低迷している。もともと、ロシアのみならず旧ソ連諸国では Opera が圧倒的に強かった。これは、コンピュータ化の遅れていた旧ソ連諸国ではパソコンが旧型でしかもスペックも低く、そのため旧型マシンでも快適に動作できるよう軽量化・高速化を高機能化と両立させてきている Opera が最も適したからだと言われる。とはいえ、近年は Firefox と Google Chrome (特に過去2年ほどは後者)の激しい追い上げにあい、シェアを減らしている。
ブラン
ロシア語では「ステップの猛吹雪」という意味の普通名詞だが、世界的にはソ連版スペースシャトルの名前として知られている。もっとも、形状はそっくりだが、再利用方式の有翼宇宙船という構想自体はソ連にも古くからあった。その最大の違いは、姿勢制御用以外のエンジンを備えていない点。そのため、ロケットブースタと本体のエンジンとの2段構えで軌道に乗ったスペースシャトルと違い、ブラーンは最初から最後まで巨大ロケット «エネルギヤ» 頼みであった(このためエネルギヤは使い捨て)。ブラーンは1988年に無人の試験飛行に成功したが、その後ソ連末期の混乱から本格運用ができないまま、ソ連崩壊とともに廃棄された。
プリセツカヤ マイヤ
1925-。バレリーナ。ウラーノヴァの引退した1960年からボリショイのプリマとして30年間君臨した。
ブリンナー ユル
1920-85。俳優。ウラジオ生まれ。幼い頃、家族に連れられソ連から亡命した。本名はユーリー・ボリーソヴィチ・ブリーネル。ユーリー Юлий を略したのがユル。ブリーネルを英語読みしたのがブリンナーである。父からスイスとブリャート、母からはユダヤとロマの血を継いでいる(そしてどちらからもロシア)。
ブルガール
テュルク系の遊牧民族、およびその国家の名。おそらく2世紀頃に黒海北岸に現れ、フン人が去った後もここにとどまっていた。その後西突厥の勢力圏に組み込まれたが、7世紀にこれが弱体化すると、クブラトに率いられて自立。ドナウ河からアゾーフ海までを支配した(«大ブルガリア»)。ちなみにクブラトは、その死の床で息子たちを集め、矢束を折らせてみたところ折れなかったので、束を解いて一本一本折っていき、兄弟結束の重要性を説いたという。毛利元就より900年前の話である。クブラトの死後、ハザールの圧迫を受けて大ブルガリアは崩壊。一部は北上してヴォルガ中流域に定着(ヴォルガ・ブルガール)。一部は西進してドナウ下流域に定着(ドナウ・ブルガール = ブルガリア)。
フルシチョフ ニキータ
1894-1971。スターリン死後のソ連の最高指導者(1953-64)。«スターリン批判» と «雪解け»、«平和共存路線» といった政策、国連総会で机を靴でぶっ叩いたりする破天荒な言動、さらには特異な風貌で西側では人気があった。しかしハンガリー動乱やU2型機撃墜事件、中ソ対立、そしてキューバ危機などで対外関係を悪化させ、しかもその思いつきのような経済政策(および人事)で共産党官僚の反発を呼び、宮廷クーデタで最高指導者の地位を追われた。
フルシチョーフカ
フルシチョーフの時代(特に60年代前半)に、主に都市の郊外に建てられた、多くが5階建ての集合住宅。ロシア全土の住宅の10%を占めるとも言われ、ブレージュネフ時代の都市化に大いに貢献したが、こんにちでは老朽化している。
プレクラスニー
1987-98。日本の競走馬(牡馬)。父はフランスの名種牡馬だが日本ではイマイチ。プレクラスニーも成長は遅く、重賞初制覇は1991年、古馬になってから。春シーズン最後のGIIIエプソムカップである。秋初戦のGII毎日王冠で三連勝とし、GI初挑戦となった秋天で王者メジロマックイーンの2着と大健闘。ところがマックイーンが大斜行で、降着制度が初めて適用されたため、プレクラスニーが繰り上げ優勝となった。実際には最後の直線であっさり置いていかれて6馬身差をつけられた惨敗であったことから、次はマックイーンを実力で負かそうと適正距離を無視して年末の有馬記念で再戦。しかし4着に敗れ、そのまま引退となった。記録の上でこそ天皇賞馬なのだが、実際には «マックイーンが降着した天皇賞を繰り上げで勝った馬» として記憶されている。ロシア語 Прекрасный | Prekrasnyy(当サイトの翻字法に従えばプレクラースヌィイ)。
ブレジネフ レオニード
1906-82。ソ連の最高指導者(1964-82)。とはいえ、スターリンやフルシチョーフのような強烈なパーソナリティを持たず、集団指導体制を敷いた。外相や国防相、KGB長官がこれほど活躍した時代はない。名誉欲だけは人一倍。その治世はすでに生前から «停滞の時代» と認識されていた。
プロコフィエフ セルゲイ
1891-1953。ピアニスト・作曲家。革命後アメリカに亡命したが、1933年に帰国。『ピーターと狼』や『アレクサンドル・ネフスキー』など体制迎合的な曲もつくったが、それでも1948年にはショスタコーヴィチとともに当局から批判されている。スターリンと同日に死去。
プロトン
ロシア語では「陽子」という意味の普通名詞だが、1965年から使用されてきたソ連・ロシアのロケットの名前でもある。1970年頃から安定性を増し、おそらく現役中最高の打ち上げ成功率を誇る。こんにちまで、あまたの人工衛星、有人宇宙船ソユーズ、サリュートやミールの諸モジュールその他を打ち上げてきた。

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最終更新日 16 11 2016

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