ロシア学事始ロシア用語の基礎知識

ロシア用語:ナ

ナホトカ
日本海に面したロシアの港湾都市。特にソ連ではウラジオが外国人に対して閉鎖されていたので、かつては船旅でナホトカへ、そこから陸路ハバロに入ってシベリア鉄道、というのが定番だった。いまでは日本との定期旅客航路はウラジオに取られてしまった。当サイトの表記規則に従うと «ナホードカ»。
ナリヤン・マル
ネネツ自治管区の主都。ペチョーラ川をくだるとすぐに北極海。1929年にネネツ自治管区が設置されると同時に建設が始められ、1935年に都市となった。人工的につくられた都市であることなどから、人口は建設当初の1万人からソ連末期の2万人を最盛期として、現在でも1万後半とほとんど変化していない。ちなみにネネツ自治管区全体の人口がこの間ほぼ常に4万少々であるから、だいたい3人にひとりがナリヤン・マルに住んでいる、ということになろう(もっとも住民のほとんどはロシア人)。見た目、典型的なソ連タイプの都市(メインストリート沿いに味もそっけもない大きな建物(ただし高層ではない)が建ち、その裏側には何もない)。ちなみに、道路も鉄道も通じていない陸の孤島。他都市とのつながりは空路のみ(郊外に空港がある)。
ナロードニキ
«人民の中へ» 運動に挫折した革命的若者たちが、当局の弾圧に対抗するために結成した秘密結社のメンバー。ただし、のちにマルクス主義者が、過去のロシア的革命運動家を指す言葉として使ったため、一般的には «人民の中へ» 運動からエスエルにいたる流れ全般を指す。1881年のアレクサンドル2世暗殺で目的のひとつを果たすが、権力側が反動化し、ナロードニキは組織的にも思想的にも瓦解した。1890年代に入ってこれを復活させたのがエスエルである。

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最終更新日 01 09 2012

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