ロシア学事始ロシア用語の基礎知識

ロシア用語:オ

オイストラフ ダヴィド
1908-74。ヴァイオリニスト。モスクワのコンセルヴァトワールで教鞭も採った。第二次大戦後は西側での演奏が認められ、その名を世界に轟かせた。
オイラー レオンハルト
1707-83。数学者。スイス出身だが、1727-41、66-83と、合計31年にわたってサンクト・ペテルブルグに暮らし、サンクト・ペテルブルグで死んだ。現在もサンクト・ペテルブルグに眠っている。
オジェゴフ セルゲイ
1900-64。言語学者。«オージェゴフの辞書» と呼ばれるロシア語辞書の編者。
オパーリン アレクサンドル
1894-1980。生化学者。『生命の起源』で有名。
オフチャールカ
語義的にも語源的にも英語のシェパードに相当。「オフツァー(羊)の護衛犬」という程度の意味である。牧羊のおこなわれていた南ロシアやウクライナには古くからいたが、犬種として確立したのは近年に入ってから。コーカシアン・シェパードやサウス・ロシアン・シェパードなどが知られている。
オフラーナ
ロシア帝国時代の秘密警察。«オフラーナ орхана/okhrana» とは、ロシア語の普通名詞。「保護・警護」といった意味で、もともとはペテルブルグの秩序と安寧の «警護» のための部局として1866年に創設された。内務省の機関ではあったがペテルブルグ市長に直属し、首都における革命運動の弾圧にあたった。1880年にはモスクワにも同様の組織が創設され、こちらは事実上ロシア全土を管轄下に置いて活動した。20世紀に入ると、ワルシャワをはじめその他の都市にも同様の組織が創設されていき、パリなど国外にも支部を構えた。しかし1905年を頂点とする革命運動がその後下火になると、相次いで閉鎖されていく。1917年の革命時点ではペテルブルグ、モスクワ、ワルシャワにだけ存続していた。革命運動を抑えこむため、私信を読んだり、買収したり、スパイを送り込んだり、煽動者に運動を操らせたり(最も有名なのがアゼフ)している。官製の労組をつくったのもオフラーナ所属のズバートフだったし、«血の日曜日» で大衆を率いていたガポンもオフラーナと関係があった。『シオンの賢者の議定書』を捏造したのもオフラーナだとする説もある。
オボレンスキー公 アレクサンドル・セルゲーエヴィチ
1916-40。イギリスの伝説的ラグビー選手(ウィング)。リューリクの末裔第32世代。ロシア革命後、両親に連れられてイギリスに亡命。オックスフォード在学中の1936年、イングランド vs ニュージーランド(オールブラックス)戦にて2トライを決め、対オールブラックス戦最初の勝利をイングランドにもたらした。その後もイングランド代表ないしブリティッシュライオンズの一員として活躍した。1939年、RAFに入隊。事故死。
オレーグ
-912。ノーヴゴロド公(879-882)、キエフ公(882-912)。周辺のスラヴ諸部族を平定。ノーヴゴロドとキエフを結ぶキエフ・ルーシの骨格をつくる。さらにビザンティン帝国とも戦い、コンスタンティノープルを攻撃。

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最終更新日 26 07 2016

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