ロシア学事始

«ロシア» 概念あれこれ

当コンテンツにおいて混乱を避けるため、«ロシア» という言葉が何を意味するか、少し説明しておきたい。
 なお、これはあくまでもここだけの話。必ずしも学問的に妥当する話ではないし、わたし自身これらの区別を普段からしているかというとそうでもなかったりする。

  1. 地理的概念としてのロシア
    1. ロシア連邦
    2. ヨーロッパ・ロシア
  2. 国家としてのロシア
    1. キエフ・ルーシ
    2. モスクワ・ロシア
    3. ロシア帝国
    4. 臨時政府
    5. ソヴィエト・ロシア
    6. ロシア連邦
  3. ロシア人
    1. ロシア民族
    2. ロシア人

地理的概念としてのロシア

 まず、当コンテンツでロシアと言った場合、最も一般的には現在のロシア連邦、およびその領土を指す。
 ただし地理的概念としての «ロシア» は、必ずしも現在のロシア連邦の領土と合致するわけではない。この点を明確にする場合、特に «現在のロシア» といった言い方をする。

 ごく簡単に言うと、現在のロシア連邦の領土は東西に4分割される。西の4分の1を «ヨーロッパ・ロシア»、東の4分の3をシベリア・極東と呼ぶ。その境界はウラル山脈である。
 アムール流域やオホーツク沿岸部などを、日本人は通常 «シベリア» と認識していると思うが、ロシアでは «極東» と呼ぶ。«シベリア» とは内陸部のことである。
 当コンテンツにおいて、歴史的な文脈で «ロシア» と言った場合、しばしば «ヨーロッパ・ロシア» を指す。
 ちなみに、ロシア語にはヨーロッパ・ロシアという言い方は存在せず、せいぜい «ロシアのヨーロッパ部 Европейская часть России» と呼ぶ程度だろうか。

 なお、ウクライナやベラルーシ(ベロルシア)などは、基本的に現在の国家の領域を指す。地理的概念としての «ロシア» には、これらは含めない。
 ただし帝政時代の文脈では、その限りではない。

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国家としてのロシア

 高校の世界史(わたしが習った頃)風に言うと、862年にノーヴゴロド公国が建国され、これがロシア史の開幕、ロシア最初の国家となった。882年にはキエフ大公国がつくられる。
 だがちょっと待て。キエフというのはウクライナの首都だ。つまりキエフ大公国とは、ロシアではなくウクライナではないのか?

 歴史理解は歴史家の数だけあって当然だ。とりあえず当コンテンツの文脈においては、862年から続く国家はロシア・ウクライナ・ベラルーシ共通の歴史である、と理解しておく。これを «キエフ・ルーシ Киевская Русь» と呼ぶ。

 そもそも、東スラヴ系の言語がロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語それぞれに分化していくのが14世紀以降とされている。
 政治的にも少なくとも13世紀まではキエフ・ルーシは一応の統一を保っていたが、それ以後はキプチャク・ハーンの属国となった北東部、リトアニアの領土となった北西部、リトアニアの、ついでポーランドの領土となった南西部に分裂していく。この段階で初めてロシア・ウクライナ・ベラルーシという区別が意味を持つようになったと思う。
 ということで、図式的に言うと、13世紀まではキエフ・ルーシという共通の歴史があり、その後16世紀までに徐々にロシア・ウクライナ・ベラルーシそれぞれが形成されていく、というのがわたしの理解だ。

 図式的に言うと13世紀にウクライナ・ベラルーシと分かれて独自の政治的歴史を歩みだしたロシアだが、14世紀後半にモスクワ大公国がかつてのキエフ・ルーシの北東部を政治的に統合するまでの時期を、あるいは15世紀後半にノーヴゴロトをも併合するまでの時期をどう呼ぶか、わたしには答えが出せない。
 当時、ヨーロッパ・ロシアは大雑把に言って、キプチャク・ハーン国領となった南部、その属国となった北東部(ヴラディーミル大公国)、独立を維持した北西部(ノーヴゴロト共和国)の3つに分かれていた。ただしこのほかにもリャザニ公国、スモレンスク公国などが存在したし、リトアニア領となった地域もあったし、«南部»、«北東部»、«北西部» というのも非常に大雑把な言い方である。

 14世紀後半、モスクワ公が大公位を世襲するようになって以降、特にトヴェーリ、ノーヴゴロドなどを圧倒してヨーロッパ・ロシアの北部における覇権を確立した15世紀以降を、«モスクワ・ロシア» と呼ぶ。
 ロシアではこれを «モスクワ・ルーシ Московская Русь» と呼んだりするが、もはやこの国家はルーシではなくロシアであると言うべきだろう。
 また、«モスクワ国家 Московское государство» という呼び方もある。
 さらには «モスクワ大公国» と(そのまんま)呼ぶことも多いが、わたしとしてはモスクワ大公からツァーリに称号が変わった後も含めて1721年までを統一的に理解したい。
 1547年にイヴァン雷帝がツァーリとして戴冠するまでを «モスクワ大公国» と呼ぶ場合は、それ以後を «ロシア・ツァーリ国 Российское царство» と呼ぶ。変な日本語だ。なので、わたしはこのような区別はしない。

 ロシアでは(ここでも)ロシア帝国 Российская империя というのは、あくまでも1721年にピョートル大帝が皇帝を名乗るようになってからの国家を指す。

 1917年の二月革命によって帝政が崩壊すると、臨時政府 Временное правительство が成立する。正式な国号は存在しなかったが、«ロシア共和国» と呼ぶことがある。ここではこの時期の国家を特に指す場合には «臨時政府» と呼ぶことにする(厳密にはこれは国家の名称ではないのだが)。

 1917年の十月革命によって臨時政府が崩壊し、ボリシェヴィキーが政権を取る。このボリシェヴィキーによって建国されたのが、«ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国» である。正式には1918年に成立する。この国号は初期には «ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国» と違う順番になっていることもあった。
 法的には、この国号・国家は1991年まで存続する。
 なお、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国ではいかにも長すぎるし、«ロシア連邦» と略してしまうと現在のロシア連邦と区別がつかないし、«ロシア共和国» とすると «臨時政府» 時代と混同する怖れがある。ということで、ここでは «ソヴィエト・ロシア Советская Россия» と呼ぶことにする。
 なお、«ソヴィエト・ロシア» は1917年11月7日(新暦)以降に適用する。

 ソヴィエト社会主義共和国連邦(略称ソ連)は、1922年に、ソヴィエト・ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカージエ連邦の4ヶ国が合同して成立した。事実においてはソヴィエト・ロシアが他の3国を併合したものと言ってもいいが、法的にはこの4者は対等である。

 現在のロシア連邦は、ソヴィエト・ロシアが1991年に国号を変更したものである。

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ロシア人

 ソ連崩壊後少数民族の自治・独立要求が高まった時期、ロシアでは «ロシア人とは何か?» という問題が議論を呼んだことがあった。これは、19世紀初頭に初めて持ち上がって以来、いまだに解決されざる問題である。

 かつてのロシア帝国も、ソヴィエト・ロシアも、そして現在のロシア連邦も、いずれも多民族国家である。そこには、いわゆるロシア人以外にもタタール人、チェチェン人、ウクライナ人、«エスキモー» 等々が暮らしている。
 ここでは、«ロシア民族» と言った場合にはいわゆるロシア人を指す。ただし、個人を指して «ロシア民族» と呼ぶわけにもいかないので、«ロシア民族に属する個人» は «ロシア人» と呼ぶことになろう。
 とはいえ、それ以外の民族に属する個人をいちいち «タタール人» とか «ヤクート人» などと区別するのも手間だし、あるいは «ロシア帝国の国民» とか «ロシア連邦の国民» などと呼ぶのもまどろっこしいので、原則的に «ロシア人» とは、特に問題とならない限りは «ロシア民族以外の民族に属する個人» もひっくるめることにする。
 ゆえに、ここでは «ロシア人» と «ロシア民族» とはイコールではない。当たり前のことではあるが(«日本人» と «日本民族» もイコールではない)。

 だいたい、祖父はイスラーム教徒でタタール語を話していたが、祖母も母もロシア民族で、本人もロシア語を話す正教徒だったりしたら、「こいつはロシア人ではない」などと言うことができるだろうか。
 ロシア人(国民)自身、ロシアに暮らしている(ユダヤ人以外の)人間を、顔立ちの違いやロシア語の下手さ加減もすべて無視し、まったく区別(差別)しないように思える(これは個人的な印象)。だからこそ改めて«ロシア人とは何か?»と問われると答えることができないのだ。

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最終更新日 07 03 2013

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