ロシア学事始

ロシアの民族

民族と言語はイコールではないが、しばしば混同されるし、事実においてもたいてい各民族は固有の言語を持っているので、民族と言語をイコールと見ることも、少なくとも一般論のレベルでは無理もない。しかし、たとえばユダヤ人などは、ヘブライ語を話そうと英語を話そうとロシア語を話そうと、ユダヤ教徒である限り自らをユダヤ人と認識する。中国の回族やバルカン半島のボスニア人のように、イスラームという絆で結ばれた民族も存在する。日本人はおそらく誰もアメリカ人を «アメリカ民族» などとは認識していないだろうが、アメリカ人自身は自分たちを «nation» と認識している。
 このように民族という概念はそもそも定義が非常に難しいが、ここでは単純に «ロシアの国勢調査で民族として挙げられたもの» のみを扱う。
 中国では、国家が56の民族を公認しているが、それでも70万人を越える人々が自らを56いずれにも属さない独自の民族と主張している。一方ロシア・ソ連では、国家による民族の公認はおこなわれなかった。伝統的な分類や学術調査・研究の結果などに基づいて整理してはいるものの(たとえばコサックやセメイスキエをロシア人に含める)、国勢調査のたびごとに民族として挙げられるものに異動が見られ、現在もいくつの民族がいるのかは必ずしも明確ではない。
 この点については、詳細は以下のページを参照のこと。

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 『原初年代記』によれば、862年のロシア(ノーヴゴロド公国)建国においてこれを構成したのは、スラヴャーネ人(イリメニ系スラヴ人)とクリヴィチー人というスラヴ人と、チューディ人とヴェーシ人というウラル系の民族であった。そしてこれを支配したリューリクとその取り巻きはおそらくスカンディナヴィア出身、すなわちゲルマン人である。つまりロシアは、そもそもの最初からして多民族国家として誕生したのである。
 モスクワ大公国は、すでに14世紀にヴォルガ中流域に住む多数のウラル系・タタール系異民族を支配下に収めている。16世紀にはカザン・ハーン国とアストラハン・ハーン国、さらにはシビル・ハーン国を併合し、北極圏の少数民族を支配下に収め、バルト海沿岸部やウクライナに進出している。このような領土拡大は19世紀半ばをピークに停滞し、革命後はいくつかの非ロシア人が独立を果たしたが、第二次世界大戦前後に再び若干の領土(非ロシア人の住む領土)を獲得している。
 こうした複雑な歴史的経緯を経て、こんにちのロシアの民族状況がある。
 歴史的に見ると、こんにちのロシアの非ロシア人は次のグループに分けることができるだろう。

  1. バルト海沿岸部に住むバルト系と、ヨーロッパ・ロシア北部から西シベリア北部にかけて住むウラル系で、14世紀以前にノーヴゴロドに支配されていた。ただしバルト系の中には、18世紀以降にロシアに併合された民族もある。
  2. ヴォルガ中流域からウラルにかけて住むウラル系・テュルク系で、14世紀から16世紀にモスクワに併合された。
  3. シベリアから極東にかけて住むウラル系・トゥングース系その他で、16世紀末から19世紀にかけてロシアに併合された。
  4. 北カフカーズに住む諸民族で、18世紀から19世紀にかけてロシアに併合された。

 もちろん、18世紀にはウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、バルト三国を、19世紀にはフィンランド、中央アジア、ザカフカージエを、20世紀にはモルドーヴァを、それぞれ併合している。
 これらはこんにち独立を果たしているが、長年ロシア・ソ連の一部であったため、こんにちでもこれらの地域の民族が多くロシア国内に残留しているし、また種々のつながりから新たにロシアに移り住む者も少なくない。
 とはいえ、独立国家を営む民族である以上、上述4グループの «ロシア土着の少数民族» と同列に扱うべきではないだろう。

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最終更新日 10 07 2011

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