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ルーシ諸公

トムタラカーニ公領

トムタラカーニ公領はキエフ・ルーシでは特異な公領で、飛び地である。中心都市トムタラカーニは、現ロシアのクラスノダール地方、黒海に面したタマン半島の先端部にあった。遊牧民族に抑えられていた南ウクライナのみならず、さらにクリミア半島、アゾーフ海をも越えなければ辿りつけない。なぜこんなところに公領が形成されたのか、よくわからない。

 領域も不明。おそらくタマン半島先端部だけだったのではないだろうか。内陸部にはカフカーズ系の諸民族が住んでいた。

 公領が形成された要因や過程はよくわからないが、ここはそもそも戦略的にも商業的にも重要な拠点であった。黒海北岸に飛び出したクリミア半島は、タマン半島とともにアゾーフ海を囲い込んでいる。そのアゾーフ海はドン水系の出口で、つまりは黒海とアゾーフ海とを結ぶケルチ海峡に面したトムタラカーニは、ドン水系を抑えていたわけである。しかも東方にはハザール帝国が控え、西方では黒海を通じてビザンティン帝国と結ばれていて、交易上の一大拠点であった。このため早くからギリシャ都市が建設されている。

 詳細は不明だが、イーゴリによるコンスタンティノープル遠征や、スヴャトスラーフによるハザール遠征などで、ルーシ人もこの地に住むようになっていたものと考えられる。おそらくハザール帝国を滅ぼしたそのスヴャトスラーフによって、キエフ・ルーシの版図に組み込まれたのだろう。
 ルーシ人も住むようになっていたとはいえ、カフカーズ系の諸民族、植民していたギリシャ人、そして帝国が事実上崩壊したとはいえ依然大きな勢力であったハザール人、さらには北方を支配していたペチェネーグ人などが入り混じり、トムタラカーニ公領の人口構成はかなり複雑であったろうと考えられる。
 そのペチェネーグ人の存在によって、トムタラカーニはルーシ本土とは切り離されていた。

 トムタラカーニ公領の最盛期は、おそらくムスティスラーフ勇敢公の時代と言ってもいいだろう。内陸部のカフカーズ諸民族と戦ってこれを屈服させ(チェルケース人の公レデデャとの «一騎討ち» は有名)、勢力圏を大きく拡大させた。
 しかし所詮ルーシ諸公にとってトムタラカーニ公領は飛び地であり、歴代公は本土を志向し続けた。それもあって、トムタラカーニ公領は常に不安定な状態に置かれていた。

 11世紀半ばにペチェネーグ人が西方に去ると、トムタラカーニ公領は復活。しかしすぐにポーロヴェツ人が新たな黒海北岸の支配者となり、トムタラカーニは再びルーシ本土から切り離される。時あたかも皇帝アレクシオス1世・コムネノスの下でビザンティン帝国が復興し、トムタラカーニ公領はその勢力圏に組み込まれて、ルーシの年代記からは姿を消した。

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トムタラカーニ公 князь Тмутараканский

 トムタラカーニ Тмутаракань はタマン半島先端部にあった、アゾーフ海沿岸の都市(ロシア連邦クラスノダール地方)。現存しない。
 もともとはギリシャ都市ヘルモナッサ Hermonassa として建設され、ドン水系の交易を司る商業都市として発展。ハザール帝国の支配下ではタマタルハ Tamatarkha と呼ばれた。«トムタラカーニ» という名はタマタルハが訛ったもの。ちなみにタマン半島のタマンはトムタラカーニ(タマタルハ)が訛ったもの。

 おそらくスヴャトスラーフ・ヤロスラーヴィチの領土とされ、その子らが代々継承した。しかし飛び地であったことから本土の秩序が及びにくく、おそらくそのためだろう、不満を持つ一族が2度にわたってスヴャトスラーヴィチ一族から公領を奪っている。1079年にはキエフ大公フセーヴォロド・ヤロスラーヴィチに占領されて代官も置かれたが、それも追い出された。しかもフセーヴォロド・ヤロスラーヴィチはダヴィド・イーゴレヴィチからトムタラカーニを奪還しようとはしていない。
 所詮飛び地で、1094年以降もオレーグ・スヴャトスラーヴィチの領土であったようだが、チェルニーゴフの獲得を目指す本人はもはやトムタラカーニに戻ろうとはせず、以後公位は確認されていない。

987-10365ムスティスラーフ勇敢公リューリコヴィチ(キエフ大公ヤロスラーフ賢公の弟)
10647グレーブ・スヴャトスラーヴィチスヴャトスラーヴィチ(スヴャトスラーフ・ヤロスラーヴィチの子)
1064-667ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチガーリチ系従兄弟(ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチの子)
1066-687グレーブ・スヴャトスラーヴィチスヴャトスラーヴィチ従兄弟/再任
1077-797ロマーン・スヴャトスラーヴィチスヴャトスラーヴィチ
1081-837ダヴィド・イーゴレヴィチグロドノ系従兄弟
1083-947オレーグ・スヴャトスラーヴィチスヴャトスラーヴィチ従兄弟(グレーブ и ロマーンの弟)

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最終更新日 17 01 2013

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