日本語で一般的なキプチャク・ハーン国/金張汗国という言葉が具体的にどのような勢力を指すのか、微妙に曖昧なところがある。すなわち、関連する用語として、ジョチ・ウルス、白張汗国、青張汗国などがあり、これらの概念が必ずしも整理されていないのと、もうひとつには時代によって下位区分に変遷があることが混乱要因となっている。わたしが専門家ではないということと、当サイトが専門のサイトではないということから、ここでは以下のように単純化させて見ておく。
- ジョチ・ウルス
このうち、ウズベク・ハーン国とカザフ・ハーン国はその領土が現在のロシア連邦領と無縁なので、ここでは省く。領土ということで言えばクリム・ハーン国も同様だが、ロシア史においては重要な役割を果たしたので含めておいた。
人名表記については、次のような基準に基づいている。すなわち、
- モンゴル系の名はモンゴル語の発音に基づき表記
- テュルク系の名はテュルク語の発音に基づき表記
- アラブ系の名はアラブ語の発音に基づき表記(ただし定冠詞アルは分離して表記)
- とはいえ筆者は上記の言語いずれも解さないため、上記分類それ自体が恣意的だし、いずれも専門家の表記に完全に依拠している
- その上で一般的と思われる表記を優先
血縁については、基本的に赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房、2005年)に依拠。
世代はチンギス・ハーンを第1世代、その子ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、トゥルイを第2世代、等としている。
以下のリストは、厳密には «ハーン» のリストではない。バトゥを筆頭に、ハーンを自称しなかった人物が多く含まれている。そもそも国号についてもいろいろ問題はあるが、ここでは細かいことにこだわっても仕方がないので、以下のように表記しておいた。
バトゥ・ウルス
ジョチの死でジョチ・ウルスはその諸子により分割されたと思われるが、その実態はよくわからない。一般的に左翼(東半)を長男オルダ、右翼(西半)を次男バトゥが継ぎ、全体の宗主権をバトゥが握ったとされる。しかしのちのようなバトゥ・ウルスが形成されるのは、1242年にバトゥがサライに居を構えてからである。少なくともこれ以降のバトゥ・ウルスは、ウラル以西を領域としている。
1360年代以降は混乱状態に陥り、バトゥ家の断絶でオルダ・ウルスがバトゥ・ウルスに介入。最終的にはトクタミシュにより東西両ウルスは統一された。しかしそのトクタミシュもティムールに敗北し、バトゥ・ウルスの混乱は続いた。
15世紀に入るとクリム・ハーン国、カザン・ハーン国、アストラハン・ハーン国が分離。バトゥ・ウルスのハーンはヴォルガ下流域のわずかなステップを領有するのみとなったが、それでも全体に対する宗主権を主張し続けた。これを «大ハーン» と呼ぶ。とはいえ、その支配領域(«大オルダ»)はごく限られたものでしかなかった。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1227?-55/56 | 3 | バトゥ | (ジョチの子) | バトゥ系 | |
2 | 1255/56-56 | 4 | サルタク | 子 | バトゥ系 | |
3 | 1256-57 | 4/5 | ウラクチ | 弟/子 | バトゥ系 | |
4 | 1257-66 | 3 | ベルケ | (ジョチの子) | ||
5 | 1266-80 | 5 | モンケ・テムル | (サルタクの甥) | バトゥ系 | |
6 | 1280-87 | 5 | トゥダ・モンケ | 弟 | バトゥ系 | |
7 | 1287-91 | 6 | トゥラ・ブガ | 甥 | バトゥ系 | |
8 | 1291-1312 | 6 | トクタ | 従兄弟 | バトゥ系 | |
9 | 1312-41 | 7 | ウズベク | 甥 | バトゥ系 | |
10 | 1341-42 | 8 | ティーニー・ベク | 子 | バトゥ系 | |
11 | 1342-57 | 8 | ジャーニー・ベク | 弟 | バトゥ系 | |
12 | 1357-59 | 9 | ベルディ・ベク | 子 | バトゥ系 | |
13 | 1359-60 | ? | クルパ | ? | ? | |
14 | 1360- | ? | ナウルーズ | ? | ? | |
15 | 1361 | 7 | ヒズル | シバン系(ボアル系?) | ||
16 | 1361/62 | 8 | テムル・ホジャ | 子 | シバン系(ボアル系?) | |
ムラド | ? | |||||
1360-62 | 8? | ケルディ・ベク | (ウズベクの子?) | バトゥ系? | ||
7 | オルド・マリク | トゥカ・テムル系 | ||||
ミル・プラド | ||||||
アジズ | ||||||
1360/61-69/70 | 9? | アブド・アッラー | (ウズベクの孫?) | バトゥ系? | ||
ハサン | ||||||
ジャーニー・ベク | ||||||
ボラク | ||||||
トゥールーン・ベク | ||||||
? | チェルケス | ? | ? | |||
アイ・ベク | ||||||
9? | カガン・ベク | シバン系 | ||||
? | サシ・ノガイ | ? | ||||
? | トゥグルク・テムル | ? | ||||
? | ムラード・ホジャ | ? | ||||
? | クトルグ・ホジャ | ? | ||||
1376-77 | 9 | オロス | オルダ・ウルスのハーン | トゥカ・テムル系 | ||
1376/77 | 10 | トクタキヤ | (オロスの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1377-80 | 9? | アラブ・シャー | (カガン・ベクの従兄弟) | シバン系 | ||
-1378/79 | 8 | テムル・ベク/テムル・メリク | オルダ・ウルスのハーン | トゥカ・テムル系 | ||
1380-95 | 9 | トクタミシュ | オルダ・ウルスのハーン | トゥカ・テムル系 | ||
1396-99/1400 | 9 | テムル・クトルグ | (テムル・ベクの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1400-07 | 9 | シャーディー・ベク | 従兄弟 | トゥカ・テムル系 | ||
1407/08-10/11 | 10 | ボラト/プラド | 従兄弟の子(テムル・クトルグの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1410/11-11/12 | 10 | テムル | 弟 | トゥカ・テムル系 | ||
1409/11-12 | 10 | ジャラール・アッ=ディーン | (トクタミシュの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1412-14 | 10 | カリーム・ベルディ | 弟 | トゥカ・テムル系 | ||
1412-24 | 10 | コペク/ケベク | 弟 | トゥカ・テムル系 | ||
1413-14 | 8 | チェキレ | トゥカ・テムル系 | |||
1416-17/19 | 10 | ジャッバール・ベルディ | (トクタミシュの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1414-19 | 8/9 | ダルヴィーシュ | トゥカ・テムル系 | |||
1419 | 10 | カーディル・ベルディ | (トクタミシュの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1419 | ハージー・ムハンマド | |||||
1419- | 10 | ウル・ムハンマド | トゥカ・テムル系 | |||
1419-21 | 11? | ダヴラト・ベルディ | (ジャッバール・ベルディの子?) | トゥカ・テムル系? | ||
1419-28 | 11 | バラク | (トクタキヤの甥) | トゥカ・テムル系 | ||
1427-32 | 11? | ダヴラト・ベルディ | 復位 | トゥカ・テムル系? | ||
1428-32/33 | 10 | ウル・ムハンマド | のちカザン・ハーン | トゥカ・テムル系 | ||
10 | ギヤース・アッ=ディーン | (シャーディー・ベクの子) | トゥカ・テムル系 | |||
1433/34-65 | 11 | サイイド・アフマド | (カリーム・ベルディの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1423-59 | 11 | クチュク・ムハンマド | (テムルの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1459-65 | 12 | マフムード | (クチュク・ムハンマドの子) | のちアストラハン・ハーン | トゥカ・テムル系 | |
1465-81 | 12 | アフマド | 弟 | トゥカ・テムル系 | ||
1481 | 13 | サイイド・アフマド | 子 | トゥカ・テムル系 | ||
1481 | 12? | イバク | テュメン・ハーン | シバン系 | ||
1481-85 | 13 | ムルタザー | (アフマドの子) | トゥカ・テムル系 | ||
1485-87 | 13 | サイイド・アフマド | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
1487 | 12? | イバク | 復位 | シバン系 | ||
1487-91 | 13 | ムルタザー | 復位 | トゥカ・テムル系 | ||
1491 | 12 | メングリ・ギレイ1世 | (ハージー・ギレイ1世の子) | クリム・ハーン | トゥカ・テムル系 | |
1491-95 | 12? | イバク | 復位 | シバン系 | ||
1495-1502 | 13 | シャイフ・アフマド | (サイイド・アフマドの弟) | トゥカ・テムル系 |
オルダ・ウルス
ジョチの死でジョチ・ウルスはその諸子に分割されたようだが、一般的に左翼(東半)を長男オルダ、右翼(西半)を次男バトゥが継ぎ、全体の宗主権をバトゥが握ったと考えられている。
1360年代にバトゥ・ウルスに内紛が起こると、オルダ・ウルスのハーンがこれに介入し、最終的にトクタミシュがバトゥ・ウルスを征服。左翼と右翼を統一した。もっともティムールの登場でオルダ・ウルスも含んだジョチ・ウルス全体の混乱が激化し、その後も右翼とは別に左翼のハーンが現れている。おそらくオルダ・ウルスでも、各地で分離主義的勢力が勃興していただろう。
1420年以降、西シベリアのチンギ・トゥラ(テュメン)を拠点としたシバン系のアブール・ハイルが勢力を拡大し、やがて左翼はこれに飲み込まれた(ウズベク・ハーン国)。1440年代にはかれによりオルダ・ウルスはほぼ再統一されているが、1468年にかれが死ぬと、ウズベク・ハーン国、カザフ・ハーン国、シビル・ハーン国、そしてノガイ・ウルスへと分裂していった。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1227?- | 3 | オルダ | (ジョチの子) | オルダ系 | |
2 | 1251-80 | 4 | コングラン | 子 | オルダ系 | |
5 | テムル・ブカ | 甥 | オルダ系 | |||
3 | 1280-1302 | 5 | コニチ | 従兄弟 | オルダ系 | |
4 | 1302-09 | 6 | バヤン | 子 | オルダ系 | |
6 | クペレク | (テムル・ブカの子) | オルダ系 | |||
5 | 1309-10/15 | 7 | サシ・ブカ | (バヤンの子) | オルダ系/ボアル系? | |
6 | 1310/15-20 | 8 | エレゼン | 子 | オルダ系/ボアル系? | |
7 | 1320-44 | 8/9 | ムバーラク・ホジャ | 弟/子 | オルダ系/ボアル系? | |
8 | 1344-60 | 9 | チンバイ | 甥/弟(エレゼンの子) | オルダ系/ボアル系? | |
9 | 1361-76 | 9 | オロス | トゥカ・テムル系 | ||
10 | 1377 | 10 | トクタキヤ | 子 | トゥカ・テムル系 | |
11 | 1377-78 | 8 | テムル・ベク/テムル・メリク | ? | トゥカ・テムル系 | |
12 | 1378/79-95 | 9 | トクタミシュ | バトゥ・ウルスを併合 | トゥカ・テムル系 | |
9 | テムル・クトルグ | (テムル・ベクの子) | トゥカ・テムル系 | |||
-1399 | 10 | クユルチュク | (トクタキヤの弟) | トゥカ・テムル系 | ||
1400- | 9 | シャーディー・ベク | (テムル・ベクの甥) | トゥカ・テムル系 | ||
1410/11-11/12 | 10 | テムル | (テムル・クトルグの子) | トゥカ・テムル系 | ||
10 | ジャラール・アッ=ディーン | (トクタミシュの子) | トゥカ・テムル系 | |||
1421-27 | 11 | バラク | (クユルチュクの子) | トゥカ・テムル系 | ||
10? | ハージー・ムハンマド | テュメン・ハーン | シバン系 | |||
-1428 | 11? | ユマドゥク | シバン系 | |||
1428-31 | 10? | マフムード・ホジャ | シバン系 | |||
1431-46 | 10 | ムスタファー | シバン系 |
カザン・ハーン
サライにおける権力闘争に敗北したウル・ムハンマドが、1437/38年に、かつてのヴォルガ・ブルガールの地に建てた国。
モスクワの軍事的圧迫を受け、しかも内紛にモスクワの介入を招き、1470年代以降は事実上モスクワの属国となった。ハーンは何度もモスクワの意向ですげ替えられている。これに反発する勢力はクリム・ハーンと結び、モスクワ派とクリミア派の内紛も絶えなかった。
最終的に1552年、モスクワに併合された。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1438-45 | 10 | ウル・ムハンマド | 大オルダのハーン | トゥカ・テムル系 | |
2 | 1445-66 | 11 | マフムード | 子 | トゥカ・テムル系 | |
3 | 1466-67 | 12 | ハリール | 子 | トゥカ・テムル系 | |
4 | 1467-79 | 12 | イブラーヒーム | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
5 | 1479-84 | 13 | イルハーム | 子 | トゥカ・テムル系 | |
6 | 1484-85 | 13 | ムハンマド・アミーン | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
7 | 1485-87 | 13 | イルハーム | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
8 | 1487-96 | 13 | ムハンマド・アミーン | 弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
9 | 1496-97 | 12? | マムク | (イバクの弟) | シビル・ハーン国 | シバン系 |
10 | 1497-1502 | 13 | アブド・アッ=ラティーフ | イブラーヒームの子 | トゥカ・テムル系 | |
11 | 1502-18 | 13 | ムハンマド・アミーン | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
12 | 1519-21 | 14 | シャー・アリー | (シャイフ・アウリヤールの子) | カーシム・ハーン | トゥカ・テムル系 |
13 | 1521-24 | 13 | サーヒブ・ギレイ | (メングリ・ギレイ1世の子) | クリム・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
14 | 1524-31 | 14 | サファー・ギレイ | 甥 | クリム・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
15 | 1532-35 | 14 | ジャーン・アリー | (シャー・アリーの弟) | カーシム・ハーン | トゥカ・テムル系 |
16 | 1536-46 | 14 | サファー・ギレイ | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
17 | 1546 | 14 | シャー・アリー | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
18 | 1546-49 | 14 | サファー・ギレイ | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
19 | 1549-51 | 15 | ウーテミシュ・ギレイ | 子 | トゥカ・テムル系 | |
20 | 1551-52 | 14 | シャー・アリー | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
21 | 1552 | 15 | ヤーディヤール・ムハンマド | (カーシム2世の子) | アストラハン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
1553-56 | ─ | アリー・アクラム | ノガイ・ウルス |
カーシム・ハーン
カザンにおける権力闘争に敗北したカーシムがモスクワ大公ヴァシーリイ2世のもとに亡命し、ゴロデーツ=メシチョールスキイ(カシーモフ)を封地としてもらい、建てた国。その領域は、おおよそかつてのムーロム=リャザニ公領に含まれる。すなわち、ジョチ・ウルスとは無縁の地域を領土としている。
独立国ではなく、モスクワの従属国ないし分領。王家も長続きせず、亡命タタールがモスクワ大公・ツァーリによってその都度擁立された。1681年、用済みになったとしてロシアに併合される。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1445-68 | 11 | カーシム | (大オルダのウル・ムハンマドの子) | カザン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
2 | 1468-86 | 12 | ダーニヤール | 子 | トゥカ・テムル系 | |
3 | 1486-91 | 12 | ヌール・ダヴラト | (ハージー・ギレイ1世の子) | クリム・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
4 | 1491-1506 | 13 | サティルガン | 子 | トゥカ・テムル系 | |
5 | 1506-12 | 13 | ジャナイ | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
6 | 1512-16 | 13 | シャイフ・アウリヤール | (大オルダのアフマドの甥) | アストラハン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
7 | 1516-19 | 14 | シャー・アリー | 子 | トゥカ・テムル系 | |
8 | 1519-31 | 14 | ジャーン・アリー | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
9 | 1535-46/67 | 14 | シャー・アリー | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
10 | 1567-73 | 15 | サイン・ブラート | (大オルダのアフマドの曾孫) | アストラハン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
1573-84 | 空位 | |||||
11 | 1584-90 | 16 | ムスタファー・アリー | (アク=クベクの孫) | アストラハン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
1590-1600 | 空位 | |||||
12 | 1600-10 | 16 | ウラズ・ムハンマド | (シガイの孫) | カザフ・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
1610-14 | 空位 | |||||
13 | 1614-27 | 16? | アルスラーン | (クチュムの孫) | シビル・ハーン国 | シバン系 |
14 | 1627-79 | 17? | サイイド・ブルハーン | 子 | シバン系 | |
15 | 1679-81 | 16? | ファーティマ | 母 | シバン系 |
アストラハン・ハーン
成立の事情は詳らかではない。クチュム・ムハンマドの死後、兄マフムードと弟アフマドの間に争いがあり、アフマドにハーンの位を追われたマフムードがアストラハンに逃れたのだとも言われるが、他方で、1465年にクリムのハージー・ギレイに敗北したマフムードが、1466年にハージー・ギレイの死んだ後にアストラハンで復活したとする説もある。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1459-76 | 12 | マフムード | (大オルダのクチュク・ムハンマドの子) | トゥカ・テムル系 | |
2 | 1476-95 | 13 | カーシム1世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
3 | 1495-1515 | 13 | アブド・アル=カリーム | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
4 | 1515-23 | 14 | ジャーニー・ベク | 甥(カーシムの子) | (元クリム・ハーン) | トゥカ・テムル系 |
5 | 1524-31 | 13 | フセイン | 父の従兄弟(大オルダのアフマドの子) | トゥカ・テムル系 | |
6 | 1531 | 14 | イスラーム・ギレイ | (メフメト・ギレイ1世の子) | クリム・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
7 | 1531-32 | 14 | カーシム2世 | フセインの甥(サイイド・アフマドの子) | トゥカ・テムル系 | |
8 | 1532 | 14 | アク=クベク | 従兄弟(ムルタザーの子) | トゥカ・テムル系 | |
9 | 1533-37 | 14 | アブド・アッ=ラフマーン | アブド・アル=カリームの子?甥? | トゥカ・テムル系 | |
10 | 1537-40 | 15 | ダルヴィーシュ・アリー | 又従兄弟の子(シャイフ・アフマドの孫) | トゥカ・テムル系 | |
11 | 1540-45 | 14 | アブド・アッ=ラフマーン | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
12 | 1545-46 | 14 | アク=クベク | 又従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
13 | 1546-49 | 15 | ヤムグルチ | 甥 | トゥカ・テムル系 | |
14 | 1550-52 | 15 | ダルヴィーシュ・アリー | 又従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
15 | 1552-54 | 15 | ヤムグルチ | 又従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
16 | 1554-56 | 15 | ダルヴィーシュ・アリー | 又従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
クリム・ハーン
クリミア半島は、ジョチ・ウルスの中にあって早くから独自の地位を築いていた。しかし一般的に独立政権の樹立は15世紀前半のハージー・ギレイによるとされる。その領域はクリミア半島全域ではない。南部はギリシャ系諸都市・イタリア系諸都市(のちにオスマン帝国領)があり、クリム・ハーンが支配したのはクリミア半島北部。加えて、黒海北岸一帯も広くクリム・ハーン国の勢力圏であった。
15世紀末から16世紀にかけては東の大オルダ、北のモスクワ、西のリトアニアに圧迫を加える地域大国であったが、一方で南のオスマン帝国には臣従を余儀なくされた。さらに17世紀に入ると小ノガイや北カフカーズの諸部族を従えもしたが、その一方でロシアやコサックへの対応には手を焼き、世紀後半には逆に圧迫を受けるようになった。このため、クリム・ハーン国はますますオスマン帝国との一体化を強めた。
1774年、ロシアの圧力によりオスマン帝国から独立。その直後、ロシアに併合された。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | -1456 | 11 | ハージー・ギレイ1世 | (大オルダのウル・ムハンマドの従兄弟の子) | トゥカ・テムル系 | |
2 | 1456 | 12 | ハイダル | 子 | トゥカ・テムル系 | |
3 | 1456-66 | 11 | ハージー・ギレイ1世 | 父 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
4 | 1466-67 | 12 | ヌール・ダヴラト | 子 | トゥカ・テムル系 | |
5 | 1467 | 12 | メングリ・ギレイ1世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
6 | 1467-69 | 12 | ヌール・ダヴラト | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
7 | 1469-75 | 12 | メングリ・ギレイ1世 | 弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
8 | 1475-76 | 12 | ヌール・ダヴラト | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
8 | 1474-76 | 14 | ジャーニー・ベク | (カーシム1世の子) | アストラハン・ハーン国 | トゥカ・テムル系 |
10 | 1478-1515 | 12 | メングリ・ギレイ1世 | 復位 | トゥカ・テムル系 | |
11 | 1515-23 | 13 | メフメト・ギレイ1世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
12 | 1523-24 | 14 | カージー・ギレイ1世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
13 | 1524-32 | 13 | サアーデト・ギレイ1世 | 叔父 | トゥカ・テムル系 | |
14 | 1532 | 14 | イスラーム・ギレイ1世 | 甥(メフメト・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
15 | 1532-51 | 13 | サーヒブ・ギレイ1世 | 叔父 | (元カザン・ハーン) | トゥカ・テムル系 |
16 | 1551-77 | 14 | デヴレト・ギレイ1世 | 甥 | トゥカ・テムル系 | |
17 | 1577-84 | 15 | メフメト・ギレイ2世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
1584-88 | 16 | サアーデト・ギレイ2世 | 子 | トゥカ・テムル系 | ||
18 | 1584-88 | 15 | イスラーム・ギレイ2世 | 叔父 | トゥカ・テムル系 | |
19 | 1588-96 | 15 | カージー・ギレイ2世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
20 | 1596 | 15 | フェトフ・ギレイ1世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
21 | 1596-1607 | 15 | カージー・ギレイ2世 | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
22 | 1607-08 | 16 | トクタミシュ・ギレイ | 子 | トゥカ・テムル系 | |
23 | 1608-10 | 15 | セラーメト・ギレイ1世 | 叔父(デヴレト・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
24 | 1610 | 17 | メフメト・ギレイ3世 | 甥の子(メフメト・ギレイ2世の孫) | トゥカ・テムル系 | |
25 | 1610-23 | 16 | ジャニベク・ギレイ | 父の従兄弟(デヴレト・ギレイ1世の孫) | トゥカ・テムル系 | |
26 | 1623-24 | 17 | メフメト・ギレイ3世 | 従兄弟の子 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
27 | 1624 | 16 | ジャニベク・ギレイ | 父の従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
28 | 1624-28 | 17 | メフメト・ギレイ3世 | 従兄弟の子 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
29 | 1628-35 | 16 | ジャニベク・ギレイ | 父の従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
30 | 1635-37 | 16 | イナーイェト・ギレイ | 従兄弟(カージー・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
31 | 1637-41 | 16 | バハドゥル・ギレイ1世 | 従兄弟(セラーメト・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
32 | 1641-44 | 16 | メフメト・ギレイ4世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
33 | 1644-54 | 16 | イスラーム・ギレイ3世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
34 | 1654-66 | 16 | メフメト・ギレイ4世 | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
35 | 1666-71 | 17 | アーディル・ギレイ | 従兄弟の子(フェトフ・ギレイ1世の孫) | トゥカ・テムル系 | |
36 | 1671-78 | 17 | セリーム・ギレイ1世 | 又従兄弟(バハドゥル・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
37 | 1678-83 | 17 | ムラード・ギレイ | 従兄弟 | トゥカ・テムル系 | |
38 | 1683-84 | 17 | ハージー・ギレイ2世 | 従兄弟 | トゥカ・テムル系 | |
39 | 1684-91 | 17 | セリーム・ギレイ1世 | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
40 | 1691 | 17 | サアーデト・ギレイ3世 | 従兄弟(ハージー2世の弟) | トゥカ・テムル系 | |
41 | 1691-92 | 17 | サファー・ギレイ | 従兄弟 | トゥカ・テムル系 | |
42 | 1692-99 | 17 | セリーム・ギレイ1世 | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
43 | 1699-1702 | 18 | デヴレト・ギレイ2世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
44 | 1702-04 | 17 | セリーム・ギレイ1世 | 父 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
45 | 1704-07 | 18 | ガージー・ギレイ3世 | 子 | トゥカ・テムル系 | |
46 | 1707-08 | 18 | カプラン・ギレイ1世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
47 | 1709-13 | 18 | デヴレト・ギレイ2世 | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
48 | 1713-15 | 18 | カプラン・ギレイ1世 | 弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
49 | 1716-17 | 17 | デヴレト・ギレイ3世 | 父の従兄弟(セラーメト・ギレイ1世の孫) | トゥカ・テムル系 | |
50 | 1717-24 | 18 | サアーデト・ギレイ4世 | 従兄弟の子(セリーム・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
51 | 1724-30 | 18 | メングリ・ギレイ2世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
52 | 1730-36 | 18 | カプラン・ギレイ1世 | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
53 | 1736-37 | 19 | フェトフ・ギレイ2世 | 甥(デヴレト・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
54 | 1737-40 | 18 | メングリ・ギレイ2世 | 叔父 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
55 | 1740-43 | 18 | セラーメト・ギレイ2世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
56 | 1743-48 | 19 | セリーム・ギレイ2世 | 甥(カプラン・ギレイ1世の子) | トゥカ・テムル系 | |
57 | 1748-56 | 19 | アルスラーン・ギレイ | 従兄弟(デヴレト・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
58 | 1756-58 | 19 | ハリーム・ギレイ | 従兄弟(サアーデト・ギレイ4世の子) | トゥカ・テムル系 | |
59 | 1758-64 | 19 | クルム・ギレイ | 従兄弟(デヴレト・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
60 | 1765-67 | 20 | セリーム・ギレイ3世 | 甥(フェトフ・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
61 | 1767 | 19 | アルスラーン・ギレイ | 叔父 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
62 | 1767-68 | 19 | マクスード・ギレイ | 従兄弟(セラーメト・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
63 | 1768-69 | 19 | クルム・ギレイ | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
64 | 1769-70 | 20 | デヴレト・ギレイ4世 | 甥(アルスラーン・ギレイの子) | トゥカ・テムル系 | |
65 | 1770 | 20 | カプラン・ギレイ2世 | 又従兄弟(セリーム・ギレイ2世の子) | トゥカ・テムル系 | |
66 | 1770-71 | 20 | セリーム・ギレイ3世 | 又従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
67 | 1771-72 | 19 | マクスード・ギレイ | 父の従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
68 | 1771-75 | 20 | サーヒブ・ギレイ2世 | 従兄弟の子(デヴレト・ギレイ2世の孫) | トゥカ・テムル系 | |
69 | 1775-77 | 20 | デヴレト・ギレイ4世 | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
70 | 1777-82 | 20 | シャーヒン・ギレイ | 従兄弟(サーヒブ2世の弟) | トゥカ・テムル系 | |
71 | 1778 | 20 | セリーム・ギレイ3世 | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
72 | 1778-82 | 20 | シャーヒン・ギレイ | 従兄弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
73 | 1782 | 20 | バハドゥル・ギレイ2世 | 弟 | トゥカ・テムル系 | |
74 | 1782-83 | 20 | シャーヒン・ギレイ | 兄 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
1783-90 | 20 | バハドゥル・ギレイ2世 | 弟 | 復位 | トゥカ・テムル系 |
シビル・ハーン
ジョチ・ウルスにおけるクリミアと同じく、オルダ・ウルスにおいてシベリア(西シベリア南部)は早くから独自の地位を築いていた。その中心にいたのがタイブガ家である。タイブガ家の出自については諸説あり、チンギス・ハーンの一族とする説すらあるが、一般的にはチンギス・ハーンの血は引いていないとされる(ケレイト部)。ゆえに厳密に言えば、かれらの政権はシビル・«ハーン» 国とは呼べない。ただしこの辺境の地域については史料が欠落しており、詳しいことはわからない。
ティムール後の混乱の15世紀前半、オルダ・ウルスでは西シベリア南部のハージー・ムハンマドを倒したアブール・ハイルがチンギ・トゥラ(テュメーニ)を拠点に勢力を拡大。1440年代にはおおよそオルダ・ウルスの統一を回復し、1446年に主都をシルダリヤ流域に移す。アブール・ハイルが南下したことで、おそらくシバン系(シャイバーニー朝)とタイブガ家との確執が激化したものと思われる。1464年、シバン系のイバクがタイブガ家のマールを殺してチンギ・トゥラを奪う。イバクはこの時、あるいはアブール・ハイルの死んだ1468年、あるいはその後にアブール・ハイル(の子孫)から自立した。これを «テュメン・ハーン国» と呼ぶこともある。他方で、チンギ・トゥラを追われたタイブガ家は新たにカシュルィク/シビル(トボーリスク)を拠点とし、勢力を維持していた。1495年、タイブガ家のムハンマドにイバクが殺され、テュメン・ハーン国は瓦解した。
その後タイブガ家は70年にわたってカシュルィクを拠点に西シベリアを支配したが、1563年、ヤーディヤールがシバン系のクチュムに倒され、西シベリアの権力は再びタイブガ家からシバン系に移る。厳密に言えば、これがシビル・ハーン国の誕生ということになろう。
1582年、カシュルィクはエルマーク率いるロシア軍により陥落するが、クチュムは逃亡。以後、ロシアの西シベリア平定が(モスクワの混乱も手伝って)遅々として進まない中、クチュムおよびその子らはシベリア・タタールを率いて抵抗を続けた。
在位 | 世代 | 名 | 血縁 | 備考 | 系統 | |
---|---|---|---|---|---|---|
タイブガ家(ハーンではない) | ||||||
-1464 | ─ | マール | チンギ・トゥラ | タイブガ家 | ||
─ | アバラク | 子 | タイブガ家 | |||
─ | アンギシュ | 子 | タイブガ家 | |||
-1496 | ─ | ムーサ・ベイ | タイブガ家 | |||
1496-1502 | ─ | ムハンマド | (マールの孫) | カシュルィク | タイブガ家 | |
1502-30 | ─ | カーシム | 子 | カシュルィク | タイブガ家 | |
1530-63 | ─ | ヤーディヤール | 子 | カシュルィク | タイブガ家 | |
1555-58 | ─ | ベク・ブラート | 弟 | カシュルィク | タイブガ家 | |
1583-88 | ─ | サイド・アフマド | 子 | タイブガ家 | ||
チンギス家(必ずしもシビル・ハーン国ではない) | ||||||
1 | -1428 | 10? | ハージー・ムハンマド | チンギ・トゥラ | シバン系 | |
2 | 1428-46 | 11? | アブール・ハイル | 又従兄弟の子 | チンギ・トゥラ | シバン系 |
3 | 1464-95 | 12? | イバク | (ハージー・ムハンマドの孫) | チンギ・トゥラ | シバン系 |
4 | 1502-30 | 12? | アガラク | 弟 | シバン系 | |
5 | 13? | クルク | 甥(イバクの子) | シバン系 | ||
6 | 1563-65 | 13? | ムルタザー | 弟 | シバン系 | |
7 | 1565-69 | 14? | アフマド・ギレイ | 子 | シバン系 | |
8 | 1569-98 | 14? | クチュム | 弟 | カシュルィク | シバン系 |
9 | 1600-07 | 15? | アリー | 子 | シバン系 | |
15? | イシム | 弟 | シバン系 | |||
16? | アブライ・ギレイ | 子 | シバン系 | |||
17? | クチュク | 子 | シバン系 |
ノガイ・ウルスのベイ
ノガイ・ウルスとは、単純化して言うと、エディゲイに率いられたマンギト部を中核とした部族連合政権である。チンギス・ハーンの末裔をハーンに戴くこともあったが、基本的にはエディゲイの末裔がベイ/ベグ/ビー、あるいはアミール/エミールとして実権を握った。このため «ノガイ・ハーン国» とは呼ばれない。
その勢力圏は、当初はウラル南部にあってオルダ・ウルスに属したが(エディゲイの孫バッカスはアブール・ハイルの支持者だった)、やがて北カフカーズからカスピ海北岸にかけての地域(ジョチ・ウルス)に移る。
16世紀後半以降は、親モスクワ派のイスマーイールの末裔が北東部(ヴォルガ下流域)を拠点に «大ノガイ» を、親クリム・ハーン派のユースフの末裔が南西部(アゾーフ湾沿岸)を拠点に «小ノガイ» を形成した。その後、小ノガイはクリム・タタールとの同化を進め、大ノガイもカルムィク人に拠点を奪われて弱体化。大ノガイは1642年にツァーリに臣従して解体。小ノガイは1783年にクリム・ハーン国とともにロシアに併合された。
在位 | 名 | 血縁 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1 | 1392-1412 | エディゲイ | ||
2 | 1412-19 | ヌール・アッ=ディーン | 子 | |
3 | 1419-27 | マンスール | 弟 | |
4 | 1427-28 | ガージー | 弟 | |
5 | 1428-47 | バッカス | 甥(ヌール・アッ=ディーンの子) | |
6 | 1447-73 | ホレズミー | 子 | |
7 | 1473-91 | アッバース | 叔父 | |
8 | 1491-1502 | ムーサ | 甥(バッカスの子) | |
9 | 1502-04 | ヤムグルチ | 弟 | |
10 | 1504-08 | ハサン | 弟 | |
11 | 1508-10 | シャイフ・ムハンマド | 甥(ムーサの子) | |
12 | 1508-16 | アルチャギル | 弟 | |
13 | 1516-19 | シャイフ・ムハンマド | 兄 | 復位 |
14 | 1521-24 | アギシュ | 従兄弟(ヤムグルチの子) | |
15 | 1524-41 | サイイド・アフマド | 従兄弟(ムーサの子) | |
16 | 1537-41 | ハージー・ムハンマド | 弟 | |
17 | 1541-49 | シャイフ・ママイ | 弟 | |
18 | 1549-54 | ユースフ | 弟 | |
19 | 1557-63 | イスマーイール | ||
20 | 1563-78 | ティネフマト | ||
21 | 1578-90 | オロス | (イスマイールの子) | |
22 | 1590-98 | ウラズ・ムハンマド | ||
23 | 1598-1600 | ディン・ムハンマド | 弟 | |
24 | 1600-19 | イシュテレク | ||
25 | 1622-34 | カナイ |