ロシア学事始ロシアの君主ロシアの歴代君主

タタールのハーン

日本語で一般的なキプチャク・ハーン国/金張汗国という言葉が具体的にどのような勢力を指すのか、微妙に曖昧なところがある。すなわち、関連する用語として、ジョチ・ウルス、白張汗国、青張汗国などがあり、これらの概念が必ずしも整理されていないのと、もうひとつには時代によって下位区分に変遷があることが混乱要因となっている。わたしが専門家ではないということと、当サイトが専門のサイトではないということから、ここでは以下のように単純化させて見ておく。

 このうち、ウズベク・ハーン国とカザフ・ハーン国はその領土が現在のロシア連邦領と無縁なので、ここでは省く。領土ということで言えばクリム・ハーン国も同様だが、ロシア史においては重要な役割を果たしたので含めておいた。

 人名表記については、次のような基準に基づいている。すなわち、

 血縁については、基本的に赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房、2005年)に依拠。
 世代はチンギス・ハーンを第1世代、その子ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、トゥルイを第2世代、等としている。
 以下のリストは、厳密には «ハーン» のリストではない。バトゥを筆頭に、ハーンを自称しなかった人物が多く含まれている。そもそも国号についてもいろいろ問題はあるが、ここでは細かいことにこだわっても仕方がないので、以下のように表記しておいた。

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バトゥ・ウルス

 ジョチの死でジョチ・ウルスはその諸子により分割されたと思われるが、その実態はよくわからない。一般的に左翼(東半)を長男オルダ、右翼(西半)を次男バトゥが継ぎ、全体の宗主権をバトゥが握ったとされる。しかしのちのようなバトゥ・ウルスが形成されるのは、1242年にバトゥがサライに居を構えてからである。少なくともこれ以降のバトゥ・ウルスは、ウラル以西を領域としている。
 1360年代以降は混乱状態に陥り、バトゥ家の断絶でオルダ・ウルスがバトゥ・ウルスに介入。最終的にはトクタミシュにより東西両ウルスは統一された。しかしそのトクタミシュもティムールに敗北し、バトゥ・ウルスの混乱は続いた。
 15世紀に入るとクリム・ハーン国、カザン・ハーン国、アストラハン・ハーン国が分離。バトゥ・ウルスのハーンはヴォルガ下流域のわずかなステップを領有するのみとなったが、それでも全体に対する宗主権を主張し続けた。これを «大ハーン» と呼ぶ。とはいえ、その支配領域(«大オルダ»)はごく限られたものでしかなかった。

在位世代血縁備考系統
11227?-55/563バトゥ(ジョチの子)バトゥ系
21255/56-564サルタクバトゥ系
31256-574/5ウラクチ弟/子バトゥ系
41257-663ベルケ(ジョチの子)
51266-805モンケ・テムル(サルタクの甥)バトゥ系
61280-875トゥダ・モンケバトゥ系
71287-916トゥラ・ブガバトゥ系
81291-13126トクタ従兄弟バトゥ系
91312-417ウズベクバトゥ系
101341-428ティーニー・ベクバトゥ系
111342-578ジャーニー・ベクバトゥ系
121357-599ベルディ・ベクバトゥ系
131359-60?クルパ
141360-?ナウルーズ
1513617ヒズルシバン系(ボアル系?)
161361/628テムル・ホジャシバン系(ボアル系?)
ムラド
1360-628?ケルディ・ベク(ウズベクの子?)バトゥ系?
7オルド・マリクトゥカ・テムル系
ミル・プラド
アジズ
1360/61-69/709?アブド・アッラー(ウズベクの孫?)バトゥ系?
ハサン
ジャーニー・ベク
ボラク
トゥールーン・ベク
?チェルケス
アイ・ベク
9?カガン・ベクシバン系
?サシ・ノガイ
?トゥグルク・テムル
?ムラード・ホジャ
?クトルグ・ホジャ
1376-779オロスオルダ・ウルスのハーントゥカ・テムル系
1376/7710トクタキヤ(オロスの子)トゥカ・テムル系
1377-809?アラブ・シャー(カガン・ベクの従兄弟)シバン系
-1378/798テムル・ベク/テムル・メリクオルダ・ウルスのハーントゥカ・テムル系
1380-959トクタミシュオルダ・ウルスのハーントゥカ・テムル系
1396-99/14009テムル・クトルグ(テムル・ベクの子)トゥカ・テムル系
1400-079シャーディー・ベク従兄弟トゥカ・テムル系
1407/08-10/1110ボラト/プラド従兄弟の子(テムル・クトルグの子)トゥカ・テムル系
1410/11-11/1210テムルトゥカ・テムル系
1409/11-1210ジャラール・アッ=ディーン(トクタミシュの子)トゥカ・テムル系
1412-1410カリーム・ベルディトゥカ・テムル系
1412-2410コペク/ケベクトゥカ・テムル系
1413-148チェキレトゥカ・テムル系
1416-17/1910ジャッバール・ベルディ(トクタミシュの子)トゥカ・テムル系
1414-198/9ダルヴィーシュトゥカ・テムル系
141910カーディル・ベルディ(トクタミシュの子)トゥカ・テムル系
1419ハージー・ムハンマド
1419-10ウル・ムハンマドトゥカ・テムル系
1419-2111?ダヴラト・ベルディ(ジャッバール・ベルディの子?)トゥカ・テムル系?
1419-2811バラク(トクタキヤの甥)トゥカ・テムル系
1427-3211?ダヴラト・ベルディ復位トゥカ・テムル系?
1428-32/3310ウル・ムハンマドのちカザン・ハーントゥカ・テムル系
10ギヤース・アッ=ディーン(シャーディー・ベクの子)トゥカ・テムル系
1433/34-6511サイイド・アフマド(カリーム・ベルディの子)トゥカ・テムル系
1423-5911クチュク・ムハンマド(テムルの子)トゥカ・テムル系
1459-6512マフムード(クチュク・ムハンマドの子)のちアストラハン・ハーントゥカ・テムル系
1465-8112アフマドトゥカ・テムル系
148113サイイド・アフマドトゥカ・テムル系
148112?イバクテュメン・ハーンシバン系
1481-8513ムルタザー(アフマドの子)トゥカ・テムル系
1485-8713サイイド・アフマド復位トゥカ・テムル系
148712?イバク復位シバン系
1487-9113ムルタザー復位トゥカ・テムル系
149112メングリ・ギレイ1世(ハージー・ギレイ1世の子)クリム・ハーントゥカ・テムル系
1491-9512?イバク復位シバン系
1495-150213シャイフ・アフマド(サイイド・アフマドの弟)トゥカ・テムル系

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オルダ・ウルス

 ジョチの死でジョチ・ウルスはその諸子に分割されたようだが、一般的に左翼(東半)を長男オルダ、右翼(西半)を次男バトゥが継ぎ、全体の宗主権をバトゥが握ったと考えられている。
 1360年代にバトゥ・ウルスに内紛が起こると、オルダ・ウルスのハーンがこれに介入し、最終的にトクタミシュがバトゥ・ウルスを征服。左翼と右翼を統一した。もっともティムールの登場でオルダ・ウルスも含んだジョチ・ウルス全体の混乱が激化し、その後も右翼とは別に左翼のハーンが現れている。おそらくオルダ・ウルスでも、各地で分離主義的勢力が勃興していただろう。
 1420年以降、西シベリアのチンギ・トゥラ(テュメン)を拠点としたシバン系のアブール・ハイルが勢力を拡大し、やがて左翼はこれに飲み込まれた(ウズベク・ハーン国)。1440年代にはかれによりオルダ・ウルスはほぼ再統一されているが、1468年にかれが死ぬと、ウズベク・ハーン国、カザフ・ハーン国、シビル・ハーン国、そしてノガイ・ウルスへと分裂していった。

在位世代血縁備考系統
11227?-3オルダ(ジョチの子)オルダ系
21251-804コングランオルダ系
5テムル・ブカオルダ系
31280-13025コニチ従兄弟オルダ系
41302-096バヤンオルダ系
6クペレク(テムル・ブカの子)オルダ系
51309-10/157サシ・ブカ(バヤンの子)オルダ系/ボアル系?
61310/15-208エレゼンオルダ系/ボアル系?
71320-448/9ムバーラク・ホジャ弟/子オルダ系/ボアル系?
81344-609チンバイ甥/弟(エレゼンの子)オルダ系/ボアル系?
91361-769オロストゥカ・テムル系
10137710トクタキヤトゥカ・テムル系
111377-788テムル・ベク/テムル・メリクトゥカ・テムル系
121378/79-959トクタミシュバトゥ・ウルスを併合トゥカ・テムル系
9テムル・クトルグ(テムル・ベクの子)トゥカ・テムル系
-139910クユルチュク(トクタキヤの弟)トゥカ・テムル系
1400-9シャーディー・ベク(テムル・ベクの甥)トゥカ・テムル系
1410/11-11/1210テムル(テムル・クトルグの子)トゥカ・テムル系
10ジャラール・アッ=ディーン(トクタミシュの子)トゥカ・テムル系
1421-2711バラク(クユルチュクの子)トゥカ・テムル系
10?ハージー・ムハンマドテュメン・ハーンシバン系
-142811?ユマドゥクシバン系
1428-3110?マフムード・ホジャシバン系
1431-4610ムスタファーシバン系

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カザン・ハーン

 サライにおける権力闘争に敗北したウル・ムハンマドが、1437/38年に、かつてのヴォルガ・ブルガールの地に建てた国。
 モスクワの軍事的圧迫を受け、しかも内紛にモスクワの介入を招き、1470年代以降は事実上モスクワの属国となった。ハーンは何度もモスクワの意向ですげ替えられている。これに反発する勢力はクリム・ハーンと結び、モスクワ派とクリミア派の内紛も絶えなかった。
 最終的に1552年、モスクワに併合された。

在位世代血縁備考系統
11438-4510ウル・ムハンマド大オルダのハーントゥカ・テムル系
21445-6611マフムードトゥカ・テムル系
31466-6712ハリールトゥカ・テムル系
41467-7912イブラーヒームトゥカ・テムル系
51479-8413イルハームトゥカ・テムル系
61484-8513ムハンマド・アミーントゥカ・テムル系
71485-8713イルハーム復位トゥカ・テムル系
81487-9613ムハンマド・アミーン復位トゥカ・テムル系
91496-9712?マムク(イバクの弟)シビル・ハーン国シバン系
101497-150213アブド・アッ=ラティーフイブラーヒームの子トゥカ・テムル系
111502-1813ムハンマド・アミーン復位トゥカ・テムル系
121519-2114シャー・アリー(シャイフ・アウリヤールの子)カーシム・ハーントゥカ・テムル系
131521-2413サーヒブ・ギレイ(メングリ・ギレイ1世の子)クリム・ハーン国トゥカ・テムル系
141524-3114サファー・ギレイクリム・ハーン国トゥカ・テムル系
151532-3514ジャーン・アリー(シャー・アリーの弟)カーシム・ハーントゥカ・テムル系
161536-4614サファー・ギレイ復位トゥカ・テムル系
17154614シャー・アリー復位トゥカ・テムル系
181546-4914サファー・ギレイ復位トゥカ・テムル系
191549-5115ウーテミシュ・ギレイトゥカ・テムル系
201551-5214シャー・アリー復位トゥカ・テムル系
21155215ヤーディヤール・ムハンマド(カーシム2世の子)アストラハン・ハーン国トゥカ・テムル系
1553-56アリー・アクラムノガイ・ウルス

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カーシム・ハーン

 カザンにおける権力闘争に敗北したカーシムがモスクワ大公ヴァシーリイ2世のもとに亡命し、ゴロデーツ=メシチョールスキイ(カシーモフ)を封地としてもらい、建てた国。その領域は、おおよそかつてのムーロム=リャザニ公領に含まれる。すなわち、ジョチ・ウルスとは無縁の地域を領土としている。
 独立国ではなく、モスクワの従属国ないし分領。王家も長続きせず、亡命タタールがモスクワ大公・ツァーリによってその都度擁立された。1681年、用済みになったとしてロシアに併合される。

在位世代血縁備考系統
11445-6811カーシム(大オルダのウル・ムハンマドの子)カザン・ハーン国トゥカ・テムル系
21468-8612ダーニヤールトゥカ・テムル系
31486-9112ヌール・ダヴラト(ハージー・ギレイ1世の子)クリム・ハーン国トゥカ・テムル系
41491-150613サティルガントゥカ・テムル系
51506-1213ジャナイトゥカ・テムル系
61512-1613シャイフ・アウリヤール(大オルダのアフマドの甥)アストラハン・ハーン国トゥカ・テムル系
71516-1914シャー・アリートゥカ・テムル系
81519-3114ジャーン・アリートゥカ・テムル系
91535-46/6714シャー・アリー復位トゥカ・テムル系
101567-7315サイン・ブラート(大オルダのアフマドの曾孫)アストラハン・ハーン国トゥカ・テムル系
1573-84空位
111584-9016ムスタファー・アリー(アク=クベクの孫)アストラハン・ハーン国トゥカ・テムル系
1590-1600空位
121600-1016ウラズ・ムハンマド(シガイの孫)カザフ・ハーン国トゥカ・テムル系
1610-14空位
131614-2716?アルスラーン(クチュムの孫)シビル・ハーン国シバン系
141627-7917?サイイド・ブルハーンシバン系
151679-8116?ファーティマシバン系

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アストラハン・ハーン

 成立の事情は詳らかではない。クチュム・ムハンマドの死後、兄マフムードと弟アフマドの間に争いがあり、アフマドにハーンの位を追われたマフムードがアストラハンに逃れたのだとも言われるが、他方で、1465年にクリムのハージー・ギレイに敗北したマフムードが、1466年にハージー・ギレイの死んだ後にアストラハンで復活したとする説もある。

在位世代血縁備考系統
11459-7612マフムード(大オルダのクチュク・ムハンマドの子)トゥカ・テムル系
21476-9513カーシム1世トゥカ・テムル系
31495-151513アブド・アル=カリームトゥカ・テムル系
41515-2314ジャーニー・ベク甥(カーシムの子)(元クリム・ハーン)トゥカ・テムル系
51524-3113フセイン父の従兄弟(大オルダのアフマドの子)トゥカ・テムル系
6153114イスラーム・ギレイ(メフメト・ギレイ1世の子)クリム・ハーン国トゥカ・テムル系
71531-3214カーシム2世フセインの甥(サイイド・アフマドの子)トゥカ・テムル系
8153214アク=クベク従兄弟(ムルタザーの子)トゥカ・テムル系
91533-3714アブド・アッ=ラフマーンアブド・アル=カリームの子?甥?トゥカ・テムル系
101537-4015ダルヴィーシュ・アリー又従兄弟の子(シャイフ・アフマドの孫)トゥカ・テムル系
111540-4514アブド・アッ=ラフマーン復位トゥカ・テムル系
121545-4614アク=クベク又従兄弟復位トゥカ・テムル系
131546-4915ヤムグルチトゥカ・テムル系
141550-5215ダルヴィーシュ・アリー又従兄弟復位トゥカ・テムル系
151552-5415ヤムグルチ又従兄弟復位トゥカ・テムル系
161554-5615ダルヴィーシュ・アリー又従兄弟復位トゥカ・テムル系

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クリム・ハーン

 クリミア半島は、ジョチ・ウルスの中にあって早くから独自の地位を築いていた。しかし一般的に独立政権の樹立は15世紀前半のハージー・ギレイによるとされる。その領域はクリミア半島全域ではない。南部はギリシャ系諸都市・イタリア系諸都市(のちにオスマン帝国領)があり、クリム・ハーンが支配したのはクリミア半島北部。加えて、黒海北岸一帯も広くクリム・ハーン国の勢力圏であった。
 15世紀末から16世紀にかけては東の大オルダ、北のモスクワ、西のリトアニアに圧迫を加える地域大国であったが、一方で南のオスマン帝国には臣従を余儀なくされた。さらに17世紀に入ると小ノガイや北カフカーズの諸部族を従えもしたが、その一方でロシアやコサックへの対応には手を焼き、世紀後半には逆に圧迫を受けるようになった。このため、クリム・ハーン国はますますオスマン帝国との一体化を強めた。
 1774年、ロシアの圧力によりオスマン帝国から独立。その直後、ロシアに併合された。

在位世代血縁備考系統
1-145611ハージー・ギレイ1世(大オルダのウル・ムハンマドの従兄弟の子)トゥカ・テムル系
2145612ハイダルトゥカ・テムル系
31456-6611ハージー・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
41466-6712ヌール・ダヴラトトゥカ・テムル系
5146712メングリ・ギレイ1世トゥカ・テムル系
61467-6912ヌール・ダヴラト復位トゥカ・テムル系
71469-7512メングリ・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
81475-7612ヌール・ダヴラト復位トゥカ・テムル系
81474-7614ジャーニー・ベク(カーシム1世の子)アストラハン・ハーン国トゥカ・テムル系
101478-151512メングリ・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
111515-2313メフメト・ギレイ1世トゥカ・テムル系
121523-2414カージー・ギレイ1世トゥカ・テムル系
131524-3213サアーデト・ギレイ1世叔父トゥカ・テムル系
14153214イスラーム・ギレイ1世甥(メフメト・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
151532-5113サーヒブ・ギレイ1世叔父(元カザン・ハーン)トゥカ・テムル系
161551-7714デヴレト・ギレイ1世トゥカ・テムル系
171577-8415メフメト・ギレイ2世トゥカ・テムル系
1584-8816サアーデト・ギレイ2世トゥカ・テムル系
181584-8815イスラーム・ギレイ2世叔父トゥカ・テムル系
191588-9615カージー・ギレイ2世トゥカ・テムル系
20159615フェトフ・ギレイ1世トゥカ・テムル系
211596-160715カージー・ギレイ2世復位トゥカ・テムル系
221607-0816トクタミシュ・ギレイトゥカ・テムル系
231608-1015セラーメト・ギレイ1世叔父(デヴレト・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
24161017メフメト・ギレイ3世甥の子(メフメト・ギレイ2世の孫)トゥカ・テムル系
251610-2316ジャニベク・ギレイ父の従兄弟(デヴレト・ギレイ1世の孫)トゥカ・テムル系
261623-2417メフメト・ギレイ3世従兄弟の子復位トゥカ・テムル系
27162416ジャニベク・ギレイ父の従兄弟復位トゥカ・テムル系
281624-2817メフメト・ギレイ3世従兄弟の子復位トゥカ・テムル系
291628-3516ジャニベク・ギレイ父の従兄弟復位トゥカ・テムル系
301635-3716イナーイェト・ギレイ従兄弟(カージー・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
311637-4116バハドゥル・ギレイ1世従兄弟(セラーメト・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
321641-4416メフメト・ギレイ4世トゥカ・テムル系
331644-5416イスラーム・ギレイ3世トゥカ・テムル系
341654-6616メフメト・ギレイ4世復位トゥカ・テムル系
351666-7117アーディル・ギレイ従兄弟の子(フェトフ・ギレイ1世の孫)トゥカ・テムル系
361671-7817セリーム・ギレイ1世又従兄弟(バハドゥル・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
371678-8317ムラード・ギレイ従兄弟トゥカ・テムル系
381683-8417ハージー・ギレイ2世従兄弟トゥカ・テムル系
391684-9117セリーム・ギレイ1世従兄弟復位トゥカ・テムル系
40169117サアーデト・ギレイ3世従兄弟(ハージー2世の弟)トゥカ・テムル系
411691-9217サファー・ギレイ従兄弟トゥカ・テムル系
421692-9917セリーム・ギレイ1世従兄弟復位トゥカ・テムル系
431699-170218デヴレト・ギレイ2世トゥカ・テムル系
441702-0417セリーム・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
451704-0718ガージー・ギレイ3世トゥカ・テムル系
461707-0818カプラン・ギレイ1世トゥカ・テムル系
471709-1318デヴレト・ギレイ2世復位トゥカ・テムル系
481713-1518カプラン・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
491716-1717デヴレト・ギレイ3世父の従兄弟(セラーメト・ギレイ1世の孫)トゥカ・テムル系
501717-2418サアーデト・ギレイ4世従兄弟の子(セリーム・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
511724-3018メングリ・ギレイ2世トゥカ・テムル系
521730-3618カプラン・ギレイ1世復位トゥカ・テムル系
531736-3719フェトフ・ギレイ2世甥(デヴレト・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
541737-4018メングリ・ギレイ2世叔父復位トゥカ・テムル系
551740-4318セラーメト・ギレイ2世トゥカ・テムル系
561743-4819セリーム・ギレイ2世甥(カプラン・ギレイ1世の子)トゥカ・テムル系
571748-5619アルスラーン・ギレイ従兄弟(デヴレト・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
581756-5819ハリーム・ギレイ従兄弟(サアーデト・ギレイ4世の子)トゥカ・テムル系
591758-6419クルム・ギレイ従兄弟(デヴレト・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
601765-6720セリーム・ギレイ3世甥(フェトフ・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
61176719アルスラーン・ギレイ叔父復位トゥカ・テムル系
621767-6819マクスード・ギレイ従兄弟(セラーメト・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
631768-6919クルム・ギレイ従兄弟復位トゥカ・テムル系
641769-7020デヴレト・ギレイ4世甥(アルスラーン・ギレイの子)トゥカ・テムル系
65177020カプラン・ギレイ2世又従兄弟(セリーム・ギレイ2世の子)トゥカ・テムル系
661770-7120セリーム・ギレイ3世又従兄弟復位トゥカ・テムル系
671771-7219マクスード・ギレイ父の従兄弟復位トゥカ・テムル系
681771-7520サーヒブ・ギレイ2世従兄弟の子(デヴレト・ギレイ2世の孫)トゥカ・テムル系
691775-7720デヴレト・ギレイ4世従兄弟復位トゥカ・テムル系
701777-8220シャーヒン・ギレイ従兄弟(サーヒブ2世の弟)トゥカ・テムル系
71177820セリーム・ギレイ3世従兄弟復位トゥカ・テムル系
721778-8220シャーヒン・ギレイ従兄弟復位トゥカ・テムル系
73178220バハドゥル・ギレイ2世トゥカ・テムル系
741782-8320シャーヒン・ギレイ復位トゥカ・テムル系
1783-9020バハドゥル・ギレイ2世復位トゥカ・テムル系

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シビル・ハーン

 ジョチ・ウルスにおけるクリミアと同じく、オルダ・ウルスにおいてシベリア(西シベリア南部)は早くから独自の地位を築いていた。その中心にいたのがタイブガ家である。タイブガ家の出自については諸説あり、チンギス・ハーンの一族とする説すらあるが、一般的にはチンギス・ハーンの血は引いていないとされる(ケレイト部)。ゆえに厳密に言えば、かれらの政権はシビル・«ハーン» 国とは呼べない。ただしこの辺境の地域については史料が欠落しており、詳しいことはわからない。
 ティムール後の混乱の15世紀前半、オルダ・ウルスでは西シベリア南部のハージー・ムハンマドを倒したアブール・ハイルがチンギ・トゥラ(テュメーニ)を拠点に勢力を拡大。1440年代にはおおよそオルダ・ウルスの統一を回復し、1446年に主都をシルダリヤ流域に移す。アブール・ハイルが南下したことで、おそらくシバン系(シャイバーニー朝)とタイブガ家との確執が激化したものと思われる。1464年、シバン系のイバクがタイブガ家のマールを殺してチンギ・トゥラを奪う。イバクはこの時、あるいはアブール・ハイルの死んだ1468年、あるいはその後にアブール・ハイル(の子孫)から自立した。これを «テュメン・ハーン国» と呼ぶこともある。他方で、チンギ・トゥラを追われたタイブガ家は新たにカシュルィク/シビル(トボーリスク)を拠点とし、勢力を維持していた。1495年、タイブガ家のムハンマドにイバクが殺され、テュメン・ハーン国は瓦解した。
 その後タイブガ家は70年にわたってカシュルィクを拠点に西シベリアを支配したが、1563年、ヤーディヤールがシバン系のクチュムに倒され、西シベリアの権力は再びタイブガ家からシバン系に移る。厳密に言えば、これがシビル・ハーン国の誕生ということになろう。
 1582年、カシュルィクはエルマーク率いるロシア軍により陥落するが、クチュムは逃亡。以後、ロシアの西シベリア平定が(モスクワの混乱も手伝って)遅々として進まない中、クチュムおよびその子らはシベリア・タタールを率いて抵抗を続けた。

在位世代血縁備考系統
タイブガ家(ハーンではない)
-1464マールチンギ・トゥラタイブガ家
アバラクタイブガ家
アンギシュタイブガ家
-1496ムーサ・ベイタイブガ家
1496-1502ムハンマド(マールの孫)カシュルィクタイブガ家
1502-30カーシムカシュルィクタイブガ家
1530-63ヤーディヤールカシュルィクタイブガ家
1555-58ベク・ブラートカシュルィクタイブガ家
1583-88サイド・アフマドタイブガ家
チンギス家(必ずしもシビル・ハーン国ではない)
1-142810?ハージー・ムハンマドチンギ・トゥラシバン系
21428-4611?アブール・ハイル又従兄弟の子チンギ・トゥラシバン系
31464-9512?イバク(ハージー・ムハンマドの孫)チンギ・トゥラシバン系
41502-3012?アガラクシバン系
513?クルク甥(イバクの子)シバン系
61563-6513?ムルタザーシバン系
71565-6914?アフマド・ギレイシバン系
81569-9814?クチュムカシュルィクシバン系
91600-0715?アリーシバン系
15?イシムシバン系
16?アブライ・ギレイシバン系
17?クチュクシバン系

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ノガイ・ウルスのベイ

 ノガイ・ウルスとは、単純化して言うと、エディゲイに率いられたマンギト部を中核とした部族連合政権である。チンギス・ハーンの末裔をハーンに戴くこともあったが、基本的にはエディゲイの末裔がベイ/ベグ/ビー、あるいはアミール/エミールとして実権を握った。このため «ノガイ・ハーン国» とは呼ばれない。
 その勢力圏は、当初はウラル南部にあってオルダ・ウルスに属したが(エディゲイの孫バッカスはアブール・ハイルの支持者だった)、やがて北カフカーズからカスピ海北岸にかけての地域(ジョチ・ウルス)に移る。
 16世紀後半以降は、親モスクワ派のイスマーイールの末裔が北東部(ヴォルガ下流域)を拠点に «大ノガイ» を、親クリム・ハーン派のユースフの末裔が南西部(アゾーフ湾沿岸)を拠点に «小ノガイ» を形成した。その後、小ノガイはクリム・タタールとの同化を進め、大ノガイもカルムィク人に拠点を奪われて弱体化。大ノガイは1642年にツァーリに臣従して解体。小ノガイは1783年にクリム・ハーン国とともにロシアに併合された。

在位血縁備考
11392-1412エディゲイ
21412-19ヌール・アッ=ディーン
31419-27マンスール
41427-28ガージー
51428-47バッカス甥(ヌール・アッ=ディーンの子)
61447-73ホレズミー
71473-91アッバース叔父
81491-1502ムーサ甥(バッカスの子)
91502-04ヤムグルチ
101504-08ハサン
111508-10シャイフ・ムハンマド甥(ムーサの子)
121508-16アルチャギル
131516-19シャイフ・ムハンマド復位
141521-24アギシュ従兄弟(ヤムグルチの子)
151524-41サイイド・アフマド従兄弟(ムーサの子)
161537-41ハージー・ムハンマド
171541-49シャイフ・ママイ
181549-54ユースフ
191557-63イスマーイール
201563-78ティネフマト
211578-90オロス(イスマイールの子)
221590-98ウラズ・ムハンマド
231598-1600ディン・ムハンマド
241600-19イシュテレク
251622-34カナイ

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最終更新日 14 02 2013

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