グロドノ公領
ここでは一応キエフ・ルーシを大きく12の公領に分けたが、もっともよくわからないのがこのグロドノ公領。
そもそも、その領域はおろか、名前の由来となっている中心都市がいったいどこなのかが不明。ロシア語ではグロドノ公は «クニャージ・ゴロドネンスキイ князь Городненский» あるいは «クニャージ・ゴロデンスキイ князь Городенский» だが、この «ゴロドネンスキイ» ないし «ゴロデンスキイ» なる形容詞が「グロドノの」という意味かどうかがわからない(現在のロシア語では「グロドノの」という意味の形容詞は «グロドネンスキイ Гродненский»)。チェルニーゴフ北方にゴロドニャ Городня という小都市があるが、タティーシチェフはここのことと考えていたらしい。
グロドノにせよゴロドニャにせよ、はたまたほかの名前にせよ、ルーシには似たような名の都市が各地にある(いずれもロシア語の «ゴーロド город(都市)» からつくられた名)。年代記を見る限りでは、歴代 «グロドノ» 公がいったいどの地域を主な活動場所としていたのかがわからない(そもそも年代記にはかれらはほとんど登場しない)。
こんにち一般的には、この «ゴロドネンスキイ» ないし «ゴロデンスキイ» なる形容詞が差しているのは、現ベラルーシ西部のグロドノだ、と考えられているようだ。しかしそれも所詮は仮説でしかない。はっきりしたことはわからない。とはいえ、当コンテンツでもとりあえずそのように理解して記述している。
グロドノ公領は、おそらく現ベラルーシの西部、おおよそグロドノ州に相当する領域を版図としていたと想像される。この地域は、東でポーロツク公領、南東でトゥーロフ=ピンスク公領、南西でヴォルィニ公領、そして北でリトアニア人、西でヤトヴャーギ人という異民族と接していた。
ここが公領として成立するまではどこの誰が支配していたかはよくわからない。地理的、および政治的な観点からして、東のポーロツクか、南西のヴォルィニか。初代のグロドノ公となったフセーヴォロド(年代記では父称は不明)の父親はヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公(のちドロゴブージュ公)とされており、だとするとグロドノも当初はヴォルィニ公領だったかもしれない。
12世紀を通じてフセーヴォロドとその子孫によって世襲されたと考えられている。しかし年代記作家がほとんど注意を向けてくれておらず、歴代の公の正確な血縁関係すらわからない。当然、分領の有無も不明。常識的に考えれば、一世代に複数の人間がいた場合、公領は複数の分領に分割されたと思われる。
歴代の公の事績すらも不明で、12世紀末には名前すらわからなくなる。とはいえ、おそらく子孫がいたものと考えられている。
13世紀には、リトアニアが勢力を拡大する。グロドノ公領も、モンゴル襲来後にリトアニアに併合されたと考えられる。
この頃には中心都市はグロドノから西方のノヴォグルードクに移っていたようで、ガーリチ=ヴォルィニ公ダニイール・ロマーノヴィチがこの地方をリトアニアから奪った際には、グロドノ公ではなくノヴォグルードク公が置かれている。しかし結局1260年頃にリトアニアに奪い返され、以後ポーランド分割までリトアニア領。
後世、この地域は西欧で «黒ルテニア» と呼ばれるようになる。
グロドノ公 князь Городненский
グロドノ Гродно は、現在ポーランド、リトアニアとの国境近くにあるベラルーシ北西部の都市である(ベラルーシ共和国グロドノ州州都)。歴史的には、グロドノ以外にも様々な呼び名がある。
1224年にはドイツ騎士団の、1241年にはモンゴルの襲来により破壊される。時の公ユーリイ・グレーボヴィチは戦死し、公領はリトアニアに占領された。
1113-42 | 8 | フセーヴォロド・ダヴィドヴィチ | グロドノ系 | (ドロゴブージュ公ダヴィト・イーゴレヴィチの子) |
1142-69 | 9 | ボリース・フセヴォローディチ | グロドノ系 | 弟 |
1169-72 | 9 | グレープ・フセヴォローディチ | グロドノ系 | 弟 |
1172-83 | 9 | ムスティスラーフ・フセヴォローディチ | グロドノ系 | 弟 |
-1241 | ? | ユーリイ・グレーボヴィチ? | グロドノ系? | ? |
ノヴォグルードク公 князь Новогрудский
ノヴォグルードク Новогрудок は、ほぼグロドノとミンスクの中間に位置する小都市(ベラルーシ共和国グロドノ州)。
-1254 | ─ | ヴォイシェルク(本名ヴァイシュヴィルカス) | ? | (リトアニア大公ミンダウガスの子) |
1254-58 | 13 | ロマーン・ダニイーロヴィチ | モノマーシチ(ヴォルィニ系) | (ダニイール・ガリーツキイの子) |
1258-63 | ─ | ヴォイシェルク(本名ヴァイシュヴィルカス) | ? | 再任 |
1340s-50s | ─ | ミハイール(異教名カリヨタス) | ゲディミノヴィチ | (リトアニア大公ゲディミナスの子) |
─ | フョードル・コリアトヴィチ | ゲディミノヴィチ | 子 | |
-1382 | ─ | ヴァイドタス & タウトヴィラス | ゲディミノヴィチ | 従兄弟(リトアニア大公ケーストゥティスの子) |
1382-93 | ─ | ドミートリイ(異教名カリブタス)? | ゲディミノヴィチ | 従兄弟(リトアニア大公アルギルダスの子) |
1390-1421/40 | ─ | シギズムント(本名ジギマンタス)? | ゲディミノヴィチ | 従兄弟(リトアニア大公ケーストゥティスの子) |
スローニム公 князь Слонимский
スローニム Слоним は、グロドノとピンスクのほぼ中間に位置する小都市(ベラルーシ共和国グロドノ州)。
1341-48 | ─ | モントヴィド(本名マントヴィダス)? | ゲディミノヴィチ | (リトアニア大公ゲディミナスの子) |