ダウスプルンガス
Dausprungas
公
生:?
没:?
父:?
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳 | |||
? | ゲドヴィダス | ||
? | タウトヴィラス | ||
? | ? | ガリツィア王ダニイール |
ロシア語ではドヴスプルンク Довспрунк。
ミンダウガスの兄。
1219年、リトアニア諸公がガーリチ=ヴォルィニ公ダニイール・ロマーノヴィチと結んだ条約に署名している。
この条約には、リトアニアの21人の諸公が署名しているが、ダウスプルンガスは5人の «年長の» 公として署名している。しかし兄弟のミンダウガスが1263年に死んでいることを考えると、たとえミンダウガスが長命で、しかもダウスプルンガスがミンダウガスの年の離れた兄だったとしても、1219年の時点でダウスプルンガスはまだせいぜい30代といったところだろう。常識的に考えれば20代、あるいはひょっとしたらまだ10代だったかもしれない。
そう考えてくると、ダウスプルンガス & ミンダウガス兄弟が1219年の時点で «年長の» 公に数えられていたということは、父親が有力者だったからではないかと考えられる。
その父親については、数百年後の年代記が「リムガウダス」という名を伝えている。
子供たちについては不明。ゲドヴィダスにせよタウトヴィラスにせよ「ミンダウガスの甥」として知られているにすぎない。ミンダウガスの兄弟はダウスプルンガスしかわかっていないから、ふたりともダウスプルンガスの子であろうと推測されているだけである。
ダニイール・ロマーノヴィチの妻にしても、「タウトヴィラスの姉妹」として知られているにすぎない。
ゲドヴィダスとタウトヴィラスはミンダウガスの甥であると同時に、ヴィキンタスの甥でもある。ということは、ヴィキンタスがダウスプルンガスの兄弟ではない以上、ダウスプルンガスの妻がヴィキンタスの姉妹であった、ということになる。
なお、伝説ではヴィキンタスはエルドヴィラスの兄弟とされているので、それに従えばダウスプルンガスの妻はヴィキンタスとエルドヴィラスの姉妹ということになる。エルドヴィラスについてはほとんど知られていないが、ヴィキンタスは明確にミンダウガスと同世代で、1253年頃に死んだと考えられている。
ダウスプルンガスは1219年の条約以外には姿を見せず、ミンダウガスが1230年代にリトアニアの中心人物として活躍を始めた頃にはすでに死んでいたのだろう。