ロシア学事始ロシアの君主ロシアの歴代君主

リトアニア諸公

リトアニアは、バルト系民族の中で唯一中世に独立国家を建設した民族。
 こんにちのリトアニアは、大雑把に北東部のアウクシュタイティヤ、南東部のジュキヤ、北西部のジェマイティヤ、そして中央部のスヴァルキヤに分けられる。アウクシュタイティヤとジュキヤは、歴史的にリトアニア統合の中核となってきた(ただしジュキヤは農業に適さず、遅れた地域であった)。ジェマイティヤは北のリヴォニア騎士団、西のドイツ騎士団に狙われ、そのためしばしば独自の公が立てられて、リトアニアへの統合が遅れた。スヴァルキヤは、こんにちのロシア(カリーニングラード州)やポーランドの一部とあわせて、ロシア語で「ヤトヴャーギ」と呼ばれる民族の住居であった(ヤトヴャーギ人はリトアニア人とは全く別の民族である)。
 リトアニア人がルーシの年代記に登場するのは遅かったが(ヤトヴャーギ人は10世紀から現れている)、西方のプルシ人、北方のリーヴ人やラトヴィア系諸民族(クールス、ゼムガル、ラトガル)がドイツ人の進出に抵抗してくれたおかげで、植民地化を免れた。東隣のポーロツクが、ネマン流域(リトアニア)より西ドヴィナー流域(ラトヴィア)への進出を優先してくれたのも幸いだった。
 13世紀に入り、急速に政治的統合が進み、おそらくはミンダウガスによってほぼ統一された。民族統一の勢いを駆って、モンゴル襲来直後で混乱するルーシへの進出も開始している。とはいえ、基本的には略奪行で、領土的進出はまだ先のことであった(とはいえおそらくグロドノ公領は併合している)。
 ミンダウガスの死後しばらく混乱が続くが、ひとつには統一を推進しようとする中央権力と、旧来の独立性を維持しようとする地方の諸侯との対立が要因であった。加えて、キリスト教を受容するか拒否するかも混乱を助長した。半世紀に及ぶ混乱と停滞を克服して、リトアニアを再び大国として再建したのがゲディミナスである。特に当時衰退していたキエフ・ルーシがその標的となり、単純化して言えば、ゲディミナスの治世にポーロツク公領、トゥーロフ=ピンスク公領、ヴォルィニ公領が、その子アルギルダスの治世にキエフ公領、ペレヤスラーヴリ公領、チェルニーゴフ公領とノーヴゴロド=セーヴェルスキイ公領(かつてのセーヴェルスカヤ・ゼムリャー)のうち上流諸公領を除く部分、さらにスモレンスク公領の一部が、リトアニアに併合された。すなわち、こんにちのウクライナとベラルーシのほとんどがリトアニア領となったのである。
 リトアニアの君主の称号は、ミンダウガスがローマ教皇から王冠を受け取った以外は、すべて自称である(他称はどの言語でもプリンス=公)。それが、少なくともアルギルダスの頃には «大公» に固まった。«大公» という称号が使われたのは、キエフ大公を継ぐルーシの主権者を自負したためだと言われることがある。実際、かつてのキエフ・ルーシのうち、リトアニア領となっていなかったのはノーヴゴロド公領、スモレンスク公領(の一部)、北東ルーシ(ヴラディーミル大公領)、そしてムーロム=リャザニ公領と上流諸公領だけであった。純粋に面積的に言えば、おおよそ半分がリトアニア領となっていたと言っていい(キエフ・ルーシの最大面積については問題があるが)。
 ある意味での最盛期は、ヴィタウタスの時代であろう。かれはスモレンスクを併合し、ノーヴゴロド、プスコーフ、トヴェーリ、モスクワ、リャザニ、上流諸公領にも宗主権を及ぼして、ほぼ旧キエフ・ルーシ全土を制圧した。歴代リトアニア大公の中で、ミンダウガスでもゲディミナスでもアルギルダスでもなくかれだけが «偉大な» という添え名で呼ばれるのも故なきことではない。
 ヨガイラはポーランド王となり、以後リトアニアとポーランドの微妙な関係が100年ほど続くが、アレクサンドラス以後同君連合(同じ君主を戴く別々の国)が定着。いずれにせよ、ヴィタウタスの後は、歴代リトアニア大公の目は西に向きがちで、それがモスクワの台頭を可能にした(少なくとも容易にした)側面はあったかもしれない。
 ゲディミナス王家(ポーランドではヤギェウォ王家)が断絶する直前になって、リトアニアとポーランドの «連合国家» が成立した。この時、ウクライナはポーランドに譲られている。
 «連合国家» の成立後も、当初はセイム(国会)もリトアニアとポーランドで別々に存在していたが、やがてひとつに統合される。リトアニア貴族はポーランド化し、リトアニア語はベラルーシ語同様農民の言葉となった。
 1795年、ポーランド分割により、ベラルーシも含むその領土はロシアに併合された。

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歴代リトアニア大公

在位年血縁関係
1251-63ミンダウガス
1263-64トレニオタ
1265-68ヴァイシュヴィルカスミンダウガスの子
1267-69シュヴァルナス妹婿(リューリク家)
1269-82トライデニス
1282-85ダウマンタス
1286-91ブティゲイディス
1292-95ブトヴィダス
1295-1316ヴィテニス
1316-41ゲディミナス
1341-45ヤウヌティス
1345-77アルギルダス
1345-82ケーストゥティス
1377-92ヨガイラアルギルダスの子
1392-1430ヴィタウタス偉大公ケーストゥティスの子
1430-32シュヴィトリガイラアルギルダスの子
1432-40ジギマンタスケーストゥティスの子
1440-92カジミエラスヨガイラの子
1492-1506アレクサンドラス
1506-48ジギマンタス老公
1548-72ジギマンタス・アウグスタス
1572-以後はポーランド王を参照

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最終更新日 01 01 2012

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