ロシア学事始ロシアの君主ロシアの歴代君主リトアニア諸公ゲディミナス家系図

リトアニア諸公

フョードル

Федор

キエフ公 князь Киевский (-1362)

生:?
没:?

父:リトアニア大公ブトヴィダス
母:?

結婚:?

子:?

リトアニア語ではテオドラスないしフィオドラス Teodoras/Fiodoras。ちなみにこれは、キリスト教徒(正教徒)としての洗礼名。

 1331年、ヴラディーミル=ヴォルィンスキイからノーヴゴロドに赴く途上の新任ノーヴゴロド大主教ヴァシーリイを、リトアニア大公ゲディミナスの命令で捕らえようとしたのが、キエフ公フョードルであった(ちなみにヴァシーリイはチェルニーゴフを経由して北上し、フョードルの手に落ちずに済んだ)。
 1362年、«青水の戦い» でキプチャク・ハーン勢を破ったリトアニア大公アルギルダスにより、フョードルキエフ公位を追われた。

 1916年に発見された、府主教フェオグノーストが1331年に編んだ財産リストには、ゲディミナスの兄弟フョードルなる人物からフェオグノーストに贈られた銀製カップが挙げられている。多くの学者は、このフョードルこそキエフ公フョードルであり、すなわちキエフ公フョードルゲディミナスの兄弟であると考えている。
 であるとすると、ゲディミナスは1321年・24年にイルペニ河畔の戦いでキエフ公ペレヤスラーヴリ公ブリャンスク公の連合軍を破っており、弟をキエフ公に据えてこの地域を支配させたということなのだろう。この弟は正教に改宗しフョードルという洗礼名をもらったということであろう。ただしこの地域にはまだキプチャク・ハーンの宗主権が及んでおり、このためフョードルもキプチャク・ハーンにも忠誠を誓ったはずである(1331年にヴァシーリイを捕らえるため、タタールの徴税吏も同道している)。

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最終更新日 01 01 2012

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