タウトヴィラス
Tautvilas Kęstutaitis
ノヴォグルードク公 князь Новогрудский
生:?
没:1390.09
父:トラカイ公ケーストゥティス (リトアニア大公ゲディミナス)
母:?
結婚:
& ウリヤーナ (スモレンスク大公スヴャトスラーフ・イヴァーノヴィチ)?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
ヤドヴィガ | ポモージェ公バルニム5世 |
ゲディミノヴィチ。ロシア語ではトフティヴィル Товтивил Кейстутович。
父から、ヴァイドタスとともにノヴォグルードクを与えられていた。
1380年、父と従兄弟ヨガイラとのあいだに争いが勃発。父は1382年に殺された。タウトヴィラスとヴァイドタスもノヴォグルードクを追われる。
兄ヴィタウタスはドイツ騎士団のもとに逃亡しており、タウトヴィラスも後を追った。1383年、カトリックに改宗(洗礼名はコンラダス Konradas/コンラート Konrad)。
1384年、ヨガイラとヴィタウタスが休戦。しかし1385年にクレヴァス/クレヴォ条約を結んだヨガイラは、リトアニアの支配をスキルガイラに委ねる。これに乗じて1389年にヴィタウタスが再び大公位獲得を狙って軍を興すと、タウトヴィラスもこれに合流。しかしこの蜂起は失敗し、兄弟は再びドイツ騎士団のもとに逃亡した。
1390年、ヴィタウタスはドイツ騎士団を率いてヴィリニュスを攻略。タウトヴィラスもこれに従軍していたが、戦死した。