ミハイール・ナリムントヴィチ
Михаил Наримунтович
ピンスク公 князь Пинский
生:?
没:?
父:トゥーロフ=ピンスク公ナリマンタス (リトアニア大公ゲディミナス)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
? | ヴァシーリイ | ピンスク |
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではミコラス・ナリマンタイティス Mykolas Narimantaitis。ただし、ミカロユス・ナリマンタイティス Mikalojus Narimantaitis(ロシア語ではニコライ・ナリムントヴィチ Николай Наримунтович)とする文献もある。
すでに100年以上にわたり、ピンスクについての情報は間歇的かつ断片的で、父もピンスク公だったと言われるものの、ピンスク公だった時期や、かつてのトゥーロフ=ピンスク公領のうちどの程度を支配したのか、等、わからない点が多い。ミハイール・ナリムントヴィチが父の後を継いでピンスク公になったと言われるものの、詳細は不明である。しかし一般的に、その後しばらくはミハイール・ナリムントヴィチの子孫がピンスク公として、旧トゥーロフ=ピンスク公領の大部分を支配したと考えられているようだ。リトアニア大公ジギマンタスの治世(1432-40)に、リトアニア領に併合されたという。