ロシア学事始

ロシアの国号

現在のロシアの正式な国名は «ロシア連邦 Российская Федерация (Rossiyskaya Federatsiya)»。しかし、憲法上 «ロシア Россия (Rossiya)» もまた国名として認められている。
 略称は «РФ (RF)»。

国号の変遷

古い時代になるとロシアの歴史を知らねばならず、そもそもロシアとは何ぞや? という話になるので、ここではそういう細かいことは無視する。

ルーシ

 «ルーシ Русь (Rus')» は、こんにち一般的にはロシアの «雅語» とされている。日本を «大和» と呼ぶようなものである。しかし本来 «大和» は奈良県のことであり、日本のことではないはずだ。«ルーシ» もまた、本来はロシアとイコールではない。

 ルーシという言葉の起源については論争があり、決着がついていない(と言うか、たぶんタイムマシンでも発明されないかぎり永遠につかない)。
 古文献では、ルーシという言葉は、人々、土地、国家のいずれも指した。具体的には、人々とはこんにちのロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の共通の祖先(東スラヴ人)であり、土地とはかれらの住んだ、こんにちのウクライナ、ベラルーシ、及びヨーロッパ・ロシアの一部であり、国家とはここにかれらの建てた、日本の高校の世界史レベルでいうキエフ大公国のことである。

 このようなルーシは、13世紀前半のモンゴルの襲来とともに崩壊し、その後、こんにちのウクライナとベラルーシの地はリトアニアに征服された。ヨーロッパ・ロシアの北部に生き延びた生き残りが、やがてモスクワ大公国に統合され、こんにちのロシアとなった。
 モスクワ大公国、そしてその後身のロシア帝国は、古代のルーシの後継者を自認し、ルーシと自称していた。歴史用語としては «モスクワ大公国»、«ロシア・ツァーリ国» などの言葉があるが、イヴァン雷帝が «全ルーシのツァーリ» を名乗ったように、その国土は «ロシア» ではなく «ルーシ» と認識されていた(«ロシア» という言葉は一般的ではなかった)。
 ルーシからつくられた形容詞 «ルースキー русский» が「ルーシの」ではなく「ロシアの」、あるいは「ロシア人」という意味で使われているのは、そのためである。

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ロシア

 漢字では «露西亜»。古くは «魯西亜» と書かれた。一字では «露»、かつては «魯»。しかしこんにちのロシア連邦を指す場合は漢字の «露» ではなくカタカナの «ロ» と表記するのが一般的になっている。

 «ロシア» は、起源的にはビザンティン帝国で «ロスの住む地» として使われたのが最初。ロスというのはルーシ人という程度の意味(時代や人によって微妙に使用法が違う)。ロシアでは17世紀頃から使われはじめたようで、1721年にピョートル大帝が «全ロシアの皇帝» を自称してから一般化した。

 のちにロシアがウクライナを併合すると、これを «マロロシア = 小さいロシア» と呼び、ベラルーシを «ベロロシア = 白いロシア» と呼びようになる。これと対比させて本来のロシアを «ヴェリコロシア = 大きなロシア» と呼んだりした。

 ちなみに «ロシア» と «ロシヤ» だが、ロシア語の発音上は後者の方が近い。よって、原音主義に従えば «ロシヤ» と表記した方がいいのかもしれない。しかしロシア語の発音ということで言うと、«ラシーヤ» という表記がもっともふさわしい。しかしこんな表記はあり得ないだろう。そこで当サイトでは、«イタリア» や «ボヘミア» などと同様に «ロシア» と表記することにする。

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ソ連

 ソ連/ソ連邦とはソヴィエト社会主義共和国連邦 Союз Советских Социалистических Республик (Soyuz Sovetskikh Sotsialisticheskikh Respublik) の略。略称はソヴィエト連邦 Советский Союз、あるいは СССР。

 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、1922年にロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカージエ(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)の4ヶ国が合同して結成したもの。
 つまり、本来ロシアとソ連はイコールではない。ロシアはあくまでもソ連を構成する一単位にすぎない。しかし現実には、ソ連とはロシアがウクライナやベラルーシなど周辺諸国を併合した国家であり、1922年のソ連結成にあわせて、ロシア政府がそのままソ連政府となり、ロシア共産党がそのままソ連共産党となり、ロシア軍がそのままソ連軍となった事実がそれを如実に物語っている。ソ連共産党には下部単位としてウクライナ共産党やベラルーシ共産党が存在したが、ロシア共産党というのは1990年、つまりソ連崩壊直前まで存在しなかった。

 なお、ソヴィエトというのはロシア語で «アドバイス» を意味し、それが転じて種々の «会議» という意味にもなった。ここでは具体的には、ロシア革命の際に創設された労働者農民代表ソヴィエトと、その後身としての国権の最高機関であるソヴィエトを指す。
 ということで、ソヴィエト社会主義共和国連邦とは、「ソヴィエトという国家機関に基盤を置く Советский、社会主義に基づいた Социалистический 複数の共和国 Республики の連邦(同盟) Союз」、すなわち、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国、ベロルシア・ソヴィエト社会主義共和国、ザカフカージエ・ソヴィエト連邦社会主義共和国という4つのソヴィエト社会主義共和国の連邦という意味である。
 なお、かつて «ソ同盟» という訳語を使う人がいたが、純粋に語学的には、Союз の訳語としては連邦よりも同盟の方がふさわしい。

 当時、国名に固有地名を含まない唯一の国家だった(日本ではソヴィエトがカタカナなので、これを固有地名と勘違いしている人もいた)。

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他称

 以上、ルーシ、ロシア、そしてソ連は、いずれも «自称» である。ここで、以下、他称をいくつか挙げてみる。

 まず «ルテニア Ruthenia» (もとは Rutenia とつづられた)である。この言葉は12世紀に登場する。語源は、おそらくルーシであろうと推測されているものの、必ずしもはっきりしない。
 ルーシ、より正確にはルーシ人を指す言葉としては Russi、Rusii、Rusci などがあったが、一般的には、11世紀にフランス王妃となったヤロスラーフ賢公の娘がフランス語で «アンヌ・ド・キエフ» と呼ばれたように、単純に «キエフ» と呼んでいた(正確にはそれが西欧の言葉でくずれた形)。12世紀に入ってキエフ大公の権威が下落し、各地の公が独自に西欧諸国と関係を持つようになると、キエフ・ルーシ全体をルテニアと呼ぶようになったものと思われる。
 しかし現実には、当時の西欧諸国の目にはガーリチやヴォルィニ、ポーロツク、せいぜいキエフぐらいまでしか映っておらず、その東方は «空白地» であった。このため «ルテニア» という言葉も、実際問題としてガーリチ、ヴォルィニ、ポーロツク、キエフ辺り、特に西欧との関係が深かったガーリチとヴォルィニを指して使われていたと言えるだろう。
 14世紀にポーランドがガーリチなどを併合すると、ポーランド領となったルーシを指して使われる例も見られる。のち、こんにちのウクライナとベラルーシのほぼ全域がポーランド領となったため、この全域をルテニアと呼ぶこともある。
 このほかに、いわゆる «ガリツィア» とほぼ同一視する使用例もある。«ガリツィア» 自体、領域が明確でないが、大雑把に言って、ポーランド分割でオーストリア領となった地域を指す。この場合、ルテニアには歴史上ルーシの領土となったことのないポーランド領も含まれることになる。
 このように、ルテニアは、普遍的な定義の不可能な言葉であり、現実問題として «ロシアの他称» と呼ぶには少々ふさわしくないと言えるかもしれない。

 よりロシアに限定した地名としては、«モスコヴィア Moskovia» がある。言うまでもなくモスクワからつくられた言葉であるが、本来はモスクワ大公国を指した。
 この言葉は、それまで西欧諸国にとっては «空白地» であった東方ルーシに、15世紀頃、モスクワ大公国が覇権を確立し、西欧諸国と接触するようになって使われるようになった。以後、18世紀まで使われたし、その後も «ロシアの古名» として使われることがある。
 ちなみに、英語では Muscovy。

 最後に、ピョートル大帝の前後から、こんにちの «ロシア» という言葉が一般化する。
 なお西欧の言語では、ロシアを指す言葉は «ロシア» ではなく «ルーシ» に由来する。英語の Russia、フランス語の Russie、ドイツ語の Rußland 等々。

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最終更新日 17 01 2013

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