ロシア学事始ロシアのフォークロア

邪悪な存在

とりあえずこちらのページが長くなりすぎたのでページを分割したが、«精霊» ではないものの、ほぼ同レベルで民間で信じられてきた存在をここにまとめた。
 便宜的につくったページなので、少々まとまりがつかなくなっているが、少なくとも19世紀には負のイメージを負っていた存在たちである(21世紀の現在ではそうでもない)。

魔法使い
ロシア語には、魔法使いや魔術師、魔女を意味する単語がいくつか存在する。ファンタジーの世界では、日本語で魔法使い、魔術師、魔道師、魔道士など、英語でも magician、witch、wizard、sorcerer など、複数の単語がそれぞれにニュアンスで使い分けられているが、ロシア語では、その手のファンタジーの歴史が浅いこともあり、それぞれの単語のニュアンスは必ずしも一般化していない。
 歴史的には、最も重要なのが «ヴォルフヴ волхв» であろう。異教時代の «祭司» であったと考えられている。ルーシ最古の『原初年代記』にもヴォルフヴに関する記事がある。ノーヴゴロドに現れたヴォルフヴは大衆を味方につけてノーヴゴロド主教に対する叛乱を扇動したらしい。時のノーヴゴロド公がこれを殺したため大衆は蒙から覚めたと年代記作家は書いているが、のちに当のノーヴゴロド公自身が市民から追われて公位を失っている。このように、キリスト教会からは «悪者扱い» されたものの、ヴォルフヴは大きな尊敬と畏怖の対象であったようだ。その後その影響力は弱まり、ヴォルフヴ自体存在しなくなっていったが、それでも18世紀まで記録に登場している。こんにちではほとんど «歴史学用語» である。ちなみに、11世紀のポーロツク公フセスラーフ・ブリャチスラーヴィチはヴォルフヴにしてオーボロテニだったと伝えられている。
 ヴォルフヴがこのような歴史的・宗教的な存在(言葉)であるのに対して、より一般的なのは «チャロデーイ чародей» であろう。この言葉は чары (魔法)+ дей(行為) から成り、文字通り «魔法使い» という意味である。学問的なニュアンスを伴わずに魔法使い・魔術師を意味する場合には、このチャロデーイが用いられる傾向があるように思われる。
 イメージ的に、チャロデーイの «強化版» と捉えられているのが «コルドゥーン колдун» である。ある意味、ファンタジーの世界における、日本語の «魔術師»、英語の "wizard" などに共通するイメージを持つ言葉である。
 歴史的には、チャロデーイやコルドゥーンより、あるいはヴォルフヴより、さらに一般大衆、特に農民にとって身近な存在だったのが «ヴェドゥーン ведун»、および «ヴェーディマ ведьма» であろう。いずれも ведать (知っている) からつくられた言葉で、いわば «賢者» というところだが、«人々の知らない秘密を知る者»、よって魔法使いを意味するようになった。ヴェドゥーンが男性であり、ヴェーディマが女性である。ロシアには «悪魔と契約を結んで(主に性的な関係)悪魔の力を得た人間» という意味での魔女概念が存在せず、魔女狩りもなかったが、おそらく最も西欧の魔女概念に近いのがヴェーディマであろう。英語の "witch" (魔女)は、ロシア語では通常ヴェーディマと訳されている(と思う)。しかしヴェドゥーンにせよヴェーディマにせよ、キリスト教会からは白眼視されたものの、西欧の魔女ほど弾圧されてはいない。
 最後に、こんにち最も普通に魔法使い・魔術師を意味する言葉として使われているのが «ヴォルシェーブニク волшебник» である。ヴォルフヴと同語源であるが、どちらかと言うともともと文語的に見られており、一般庶民が会話の中で使うことはほとんどなかった(ただし民話の中では普通に使われる)。しかしそれだけに、ある種 «土俗的» なニュアンスを持たない言葉として、現在ではハリー・ポッターもサリーちゃんもキキもオズも、みなヴォルシェーブニクと呼ばれている(ほかの単語と使い分けようとする人もいる)。
 ちなみに、«マグ маг» という言葉がある。古代ペルシャのゾロアスター教の神官のことである。複数形マギとなると、イエス・キリストの誕生を寿いだ東方の三賢者となり、英語で形容詞になるとマジックとなる。ロシア語では、マグという言葉が使われることはほとんどないが、近年静かなブームとなっているオカルティズムの世界ではよく使われる。
 さらにちなみに、ロシア語でマジック(手品)は «イリュジオニズム иллюзионизм»、マジシャン(手品師)は «イリュジオニスト иллюзионист» という。

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バーバ・ヤガー Баба-Яга
民間信仰や迷信、民話でお馴染みの存在。
 民話中最高の登場頻度を誇る人物であり、こんにちのロシア人のイメージでは民話に不可欠の存在であるが、民話の中だけの存在ではない。ある意味、古くから実在した(実在すると信じられてきた) «悪い魔法使い» イメージの結晶であるが、その «悪い魔法使い» イメージには、多分に «森の精霊» イメージが投影されている(レーシイなど)。それだけにバーバ・ヤガーは、固有名詞ではなく普通名詞として «баба-яга» と表記されることも少なくない(とはいえ複数形になることは滅多にない)。
 バーバは古くは女性一般を指す言葉であり(必ずしも «婆さん» という意味ではない)、バーバ・ヤガーという名の核となっているのはヤガーの方である。このためヤガーとだけ呼ばれることもある。ヴラディーミル・ダーリは яга を「醜い老婆の姿をした、魔女の一種、あるいは悪の精霊」と説明している。
 神的な精霊、あるいは人的な魔女という二面性が融合した存在として、かつては様々に想像されていたようだが、アファナーシエフの民話の出版と普及により、そのイメージはかなり統一されている。逆にそのために、かつての多様なイメージが失われているとも言える。
 こんにちの一般的イメージとして、バーバ・ヤガーは人の生活圏の外に位置する深い森の奥に住む。彼女の家は、鶏の脚(複数)の上に建てられており、その場でぐるぐるまわっている。時として人骨の柵に囲まれていると描写される。バーバ・ヤガー自身の脚が骨だとする描写もあるが、その場合は一本脚で、当然身動きが取れないので、バーバ・ヤガーは臼に乗って空を飛ぶ。家の中には猫や鼠がおり、バーバ・ヤガーの警護役・相談役・手下となっている。なお、バーバ・ヤガーは人間を食べる。「ロシア人の匂いがする」が口癖(もっとも、ほかの悪役もよく口にする)。
 民話において、バーバ・ヤガーは、通常は主人公をいじめる継母であり(よくもこんな魔女が普通の人間と結婚できたものだ、と思われるが、そこが民話である)、主人公の行く手に立ちふさがる最大の障害であり、主人公の求める «宝物» を所有して主人公に無理難題を吹っ掛ける存在である。主人公が父親や継母から吹っ掛けられた無理難題に「バーバ・ヤガーを〜〜しろ」というものがあることも多い(「バーバ・ヤガーから火をもらってこい」等)。話の都合上、主人公を助けることもある。

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不死身のコシチェーイ Кощей Бессмертный
単純化して言えば、バーバ・ヤガーの男性版。こんにちでは民話の中でしか見ることができないが、一部のブィリーナにも登場しており、おそらく古くは民間信仰や迷信の中で、その実在が信じられていたものと思われる。
 通常は魔法使いである。人を動物に変えてしまうこともできるが、自らが動物に変身することもある。すなわち、魔法使いにしてオーボロテニであり、この点でもバーバ・ヤガーと同じである。つまり、もともとはバーバ・ヤガー同様に、«悪い魔法使い» イメージの結晶だったのであろう。
 イメージ的には痩せた背の高い老人であり、けちな守銭奴として描かれることが多い。民話の主人公にとっては敵対的な存在であり、イヴァン・ツァレーヴィチから花嫁を奪うこともある。もっとも、逆にイヴァン・ツァレーヴィチの味方として描かれることもある(その場合には、より強力な敵が別にいる)。
 ツァレーヴナ・リャグーシュカにまつわる民話は、不死身のコシチェーイについて興味深い点が多い。第一に、ツァレーヴナ・リャグーシュカの父親は一説には不死身のコシチェーイとされるが、一部バージョンでは «海の王» とされている。ここから、不死身のコシチェーイは水と関連があるとも言われる。またコシチェーイの殺し方をイヴァン・ツァレーヴィチに教えるのがバーバ・ヤガーである。不死身のコシチェーイとバーバ・ヤガーとが対立する関係にあることが示唆されているようでもある。
 なお、不死身のコシチェーイは «不死身» と言われる割には普通に殺されることが多い。とはいえ、不死身と呼ばれる所以は、生命が肉体とは別のところに隠されているので通常の方法では殺されないからだ、とされる。

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オーボロテニ оборотень
語源的には оборот (回転) からきた言葉で、人から動物へ、動物から人へ変身した(させられた)人を指す。たとえば日本の狐や狸が人に化けたものもオーボロテニである。鶴の恩返しもオーボロテニなら、白鳥に変えられたリボンの騎士も、鳥となって空を飛ぶハウルも、オオカミに変身するオオカミ男も、すべてオーボロテニである。
 古代ルーシでは、動物に変身する人間、あるいは人間に化けた動物の存在が信じられていた。基本的にルーシでは、動物に変身する人間というのは、誰かに魔法をかけられて動物になったのではなく、自らの意思で、自らその方法を知っていて動物になる。すなわち、オーボロテニとは、通常人が知らない秘密を知っている人物でもある。このため、一般的にオーボロテニは同時に «魔法使い» でもあり、逆にたいていの魔法使いは同時にオーボロテニでもある、と考えられていた。これが、魔女によって白鳥にされたリボンの騎士や、満月を見て自動的に(否応なく)狼になってしまうオオカミ男とは違う点である。また、オーボロテニが超人的な能力を持っているのも、オーボロテニであると同時に魔法使いだからでもある(逆に超自然的な力を使えないオーボロテニは存在しない)。
 オーボロテニは、狼、熊、豚、馬、鳥など、さまざまな動物に変身する。それどころか、時には煙、車輪、干し草の山などに変身することもあるらしい。とはいえ、西欧からポップカルチャーとしてのオオカミ男が輸入され、それがオーボロテニと翻訳された結果、こんにちではオーボロテニと言えばほぼオオカミ男(あるいは人狼)に限定される。
 オーボロテニは基本的に否定的な存在である。しかしたとえば、ヴォルフヴにしてオーボロテニだと信じられている、11世紀に実在したポーロツク公フセスラーフ・ブリャチスラーヴィチのように、むしろ肯定的な存在もある。

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ウプィリ упырь
吸血鬼兼人狼。元来、吸血鬼は «人の血を吸う» という行為を、人狼は «人から狼に変身する» という特徴を示すもので、この両者は互いに排他的な概念ではない。もっとも、一般的に人狼は生きた人間であり、それが一旦死んで蘇ると不老不死の吸血鬼になる、と考えられていた。
 特にスラヴ人の間では、古くからある種の死者は死から蘇って狼に変身し人の血を吸うと考えられており、これがウプィリである。
 一般的には、ウプィリになるのは生前オーボロテニだった者か魔法使いだった者(この両者は同義である)、あるいは(キリスト教の普及以後は)教会から破門された者などである。ウプィリは夜な夜な墓から起き上がり、寝ている人の血を吸い、鶏が鳴くまでには自分の墓に戻る。ウプィリを殺すには、木の杭を打ち込まなければならない。この木がヤマナラシとされるようになったのは、明らかにキリスト教の影響である(ユダが首を吊ったのがヤマナラシであると考えられていた)。ウプィリはさらに疫病、凶作、旱魃をもたらす存在であると信じられていた。
 ウプィリ、あるいはこれに類したスラヴ系の言語が西欧に伝わりヴァンパイアとなった。これがさらにロシア語に逆輸入され、ヴァンピール вампир と呼ばれている。ウプィリがロシア(スラヴ)土着の存在であるのに対して、ヴァンピールは西欧的な存在、あるいはポップカルチャーの存在である。もっともウプィリ自体がヴァンピール(と言うよりドラキュラ)の影響を受けてイメージが変わりつつあるようだ。

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ズメイ змей
現代ロシア語では、ズメヤー змея が «蛇» という意味で、ズメイは主に «凧» という意味で使われる。しかし古くはズメイが蛇という意味でも使われた。蛇が想像上の «バケモノ» に転化する例は洋の東西を問わず見られるが、ロシアでもズメイは蛇と同時にドラゴンをも意味した。ちなみに今日ドラゴンを意味する дракон は新しい外来語(ギリシャ語)。
 キリスト教の導入とともにズメイは、イヴを誘惑した蛇、聖ゲオルギオスに倒されたドラゴンをも意味するようになり、悪魔と同一視されるようになった。
 この結果ズメイには、蛇のほかに、キリスト教的悪魔イメージ、そして神話的怪物イメージが重ねられ、民間信仰や伝承、民話、ブィリーナの中では複雑な姿を示すことが多い。すなわち単純な蛇ではなく、何か神話的・超自然的な存在として捉えられるのが一般的である(しかも基本的には反キリスト的存在)。
 外見は様々で、単に巨大な蛇であることもあれば、いわゆるドラゴン(有翼のトカゲ)であることもあれば、何か形容しがたいバケモノであることもある。
 ブィリーナなどではかなり強大な存在である。しかしそれに対して民話においては、意外と間抜けな小物である。それはすなわち、主人公にとって倒すべき真の敵がバーバ・ヤガーであったり不死身のコシチェーイであったりするためで、ズメイはしょせん脇役でしかないことがほとんどだからである。«ズメイ・ゴルィヌィチ Змей Горыныч» と、あたかも人名のような名で呼ばれる、三つ首のキングギドラのような存在として描かれることが多い。

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ベース бес
スラヴ人にとって、人々に害をなす第一の存在。言わばボーグ(神)と対をなす概念である。キリスト教の導入に伴い、ボーグがヤハウェを意味するようになり、ベースは悪魔の意味に転じた。しかし本来のニュアンスをも考えると、«悪霊» という訳語の方が適切であろう。その意味で、ドストエーフスキーの小説のタイトルを『悪霊』と翻訳したのは絶妙である。
 同時に、キリスト教徒による年代記では、ベースは異教の神々を表す。つまり古来のスラヴ人の神々は、本来対立していたベースと一緒くたにされてしまったわけである。
 スラヴ神話では、冬は大地がベースの支配下にあると考えられた。ベースは闇と寒さの具象化された存在だった。

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チョールト черт
ベースが悪霊なら、チョールトは悪魔である。人間に害をなす自然界の力をベースとして具象化したとするなら、それをさらに人格化・人間化したのがチョールトである。特にこんにちのイメージでは、角、翼、尾を持った、典型的な悪魔として捉えられている。また、ディヤーヴォル дьявол が教会用語であるのに対して、チョールトは民間の話し言葉である(だから諺や成句、罵り言葉で使われるのはチョールトである)。

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ヴィイ Вий
死を運ぶ精霊。
 主にウクライナで信じられた存在だが、ゴーゴリの小説、さらには1967年の映画(ロシアン・ホラーの古典)を通じて広く知れ渡った。
 老人。その特徴は目にある。重く巨大な眉毛とまぶたは、大地にとどくほどだとされる。あまりに重いため、自分ではまぶたを開くことができないが、何らかの方法で眉毛とまぶたが持ち上げられると、何者もそのまなざしから逃れることはできない。見つめられた人は死に、町や村は灰燼に帰するという。

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最終更新日 10 09 2011

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