ロシア語概説:体

вид

一言述べておくと、ロシア語文法における «体» と、一般的な言語における «アスペクト» とはイコールではない。もともとアスペクトとは、ロシア語やスラヴ系の言語が持つ体という文法概念を英語やフランス語が取り入れてつくった概念である。本来英語やフランス語にはないものであるから、英語文法やフランス語文法で言うアスペクトは、その基となったロシア語文法における体とは異なるものとなっている。よって、他言語でアスペクトを学んだ人は、一旦それをすべて忘れた方がいい。

 ロシア語のすべての動詞は、完了体か不完了体かのいずれかに分類される。一方に属する動詞が他方に変化するということはない(両方に属する動詞というのは、考え方によっては、ある)。その意味では、ロシア語にあっては、体は法・相・時制とはまったく異なる概念である(あらゆる動詞は法・相・時制に応じて変化するが、体に応じて変化することはない)。

体的ペア

 完了体動詞と不完了体動詞は、多くの場合、語彙論的なペアを形成する。
 сказать(完了体)と говорить(不完了体)は、どちらも「言う」という意味である。まったく同じ意味を持つこのふたつの動詞のうち、どのような場合に сказать を、どのような場合に говорить を使うべきか、それを決めるのが体の使い方である。体という文法概念は日本語にも英語にも存在しないから、体の使い方・区別はそう簡単に理解できるものでもないし、身につくものでもない。しかしこれを理解し、身につけないと、сказать と言うべき時に говорить と、говорить と言うべき時に сказать と言ってしまって、ロシア人をいたずらに混乱させるばかりだし、そもそもロシア人の言っている細かなニュアンスも聞き取ることができない。
 完了体動詞と不完了体動詞のペアは、сказать と говорить のようにまったく異なる語源からつくられた、似ても似つかぬものもあるが、通常はどちらかを変形させることでもう一方の体をつくりだしているため、見た目でわかる。ある程度の法則さえ理解してしまえば、形から完了体・不完了体どちらかもわかるようになる。
 完了体動詞、および不完了体動詞の中には、対応する相手を持たない、完了体だけ、不完了体だけ、というものもある。

形成パターン語義完了体不完了体
完了体=接頭辞+不完了体書くнаписатьписать
見るпосмотретьсмотреть
完了体=不完了体+接尾辞吹くдунутьдуть
跳ぶпрыгнутьпрыгать
完了体+接尾辞=不完了体与えるдатьдавать
遅れるопоздатьопаздывать
完了体+母音=不完了体集めるсобратьсобирать
思い出すвспомнитьвспоминать
完了体+母音交替=不完了体解くрешитьрешать
完了体+語尾交替=不完了体咲くрасцвестирасцветать
戻すвозвратитьвозвращать
ペアなし戻すвернуть―(возвращать を流用)
座っているсидеть
異なる語源座るсестьсадиться
完了体=接頭辞+不完了体
完了体+語尾交替=不完了体
食べるсъестьесть
съедать
力点位置こぼすрассы́патьрассыпа́ть
同形広告するрекламировать

 このように、完了体動詞と不完了体動詞との対応関係は単純ではない。

 体は、ロシア語の動詞体系の根幹をなしている。このため、体によって法・相・時制にも区別が生じる。

体と時制

 完了体動詞と不完了体動詞とで、時制の表現がまったく異なる。

完了体不完了体
過去過去変化過去変化
現在現在変化
未来現在変化быть 未来形+不定形

 完了体には現在時制が存在しない。
 完了体未来は、現在変化をする。すなわち、見た目には完了体未来と不完了体現在とは区別がつかない(当然だ、同じ変化をしているのだから)。

 このため混乱する人が多い。文法用語にも混乱が見られ、完了体未来を完了体現在と呼ぶ人もいる。また完了体未来を «単純未来»、不完了体未来を «複合未来» と呼ぶ人もいる。ここでは、未来時制を現す完了体動詞 «完了体未来» を、その変化形が現在語幹に基づいていることから «現在変化/現在形» と呼んでおく。

 過去時制は、完了体動詞でも不完了体動詞でも過去形を用いる。この点に違いはない。なお過去形が結果的に現在を意味したり未来の意味で使われたりすることがあるし、現在形が過去の意味で使われることもないではないが、それらはここでは無視する。

 現在時制は、不完了体動詞でしか表現できない。不完了体動詞の現在変化は、基本的に現在の状態、現在進行のプロセス、日頃繰り返される動作、普遍的な真理などを表す。

 未来時制は、完了体動詞でも不完了体動詞でも表すことができるが、形態がまったく異なる。
 完了体動詞では、現在変化がそのまま未来の意味になる。これは、完了体の基本的な意味が「〜してしまった」(過去)か「〜してしまう」(未来)だからである。上掲の例 «Я́ напишу́.» は、あるいはいま現在「書いている」状況に基づいているのかもしれない。しかしこの完了体動詞が示しているのは現在の状態ではなく、未来のある一時点において「書く」という行為を完結してしまうだろう、ということだ。すなわちこの文の意味は「わたしは書いてしまう/書き上げてしまう」となる。
 一方、不完了体動詞では、未来時制は「быть 未来形+不定形」という形で示される。

体と法

 直説法と仮定法においては、体の区別は特別な役割を果たさない(意味は別として)。しかし命令法一人称複数、すなわち「〜〜しましょう」という言い方は、体によって異なる。

 体によって意味も微妙に違う。上の例文で言えば、前後の文脈をまったく無視すると、完了体の文は「書いてしまおう」という感じ、不完了体の文は「(これから)書こう」という感じになるだろうか。

体と相

 受動相は体によってつくり方が根本から異なる。

 しかも語尾に -ся をつけて受動相になる不完了体動詞は多くはない。ゆえに、不完了体から受動相をつくることができるとは限らない。

完了体と不完了体の違い

 完了体動詞と不完了体動詞は、文意、前後の文脈、話者の意図などにより使い分けられる。
 たとえば「買う」 купить(完了体) ⇔ покупать(不完了体) で見てみよう。

  1. Я́ купи́л кни́ги. 「わたしは本を買った」(完結)
  2. Я́ покупа́л кни́ги, когда́ ты́ меня́ ви́дел. 「きみが見た時、わたしは本を買っていた」(継続)
    Я́ покупа́л кни́ги ка́ждый ра́з, когда́ я́ приезжа́л в Москву́. 「モスクワに来るといつも、わたしは本を買った」(反復)
    Я́ покупа́л кни́ги в э́том магази́не, хотя́ то́чно не по́мню когда́. 「わたしはこの店で本を買ったことがある。いつかは正確に思い出せないが」(行為の命名)
    Я́ покупа́л кни́ги на ры́нке, а о́н продава́л. 「市場でわたしは本を買い、かれは売った」(行為の命名)

 次に「死ぬ」 умереть(完了体) ⇔ умирать(不完了体) で見てみる。

  1. С го́лоду у́мерли де́ти. 「飢えで子供たちは死んだ」(完結)
  2. С го́лоду умира́ли дети́, а и́м спа́с жи́знь вра́ч из Москвы́. 「飢えで子供たちは死にかけていたが、モスクワから来た医者がその命を救った」(過程)
    С го́лоду умира́ли де́ти оди́н за други́м. 「飢えで子供たちは次から次へと死んでいった」(反復)
    С го́лоду умира́ли дети́, а роди́тели ─ от хо́лода. 「飢えで死んだのは子供たちで、親たちは寒さで死んだ」(行為の命名)

 念のため言っておくが、「過程」だの「継続」だのは、絶対的な分類ではない。文法を絶対的に盲信する人がいるが、文法などしょせん方便であり後知恵である。まして文法における分類などは、「分類した方が便利だから」分類しているにすぎないし、分類項目などは人それぞれである。

 さて、このように、完了体というのは単純に言うとたったひとつの場合にしか用いられない。それはどういう場合かと言うと、次の要件を満たす場合である。

  1. 完結した/する行為。ここで言う「完結」とは単に「過去」という意味ではなく、行為がその目的なり結果なりを成就した/することを言う。
  2. 実際に1度おこなわれた/おこなわれる行為。反復する行為であっても、全体を一括して捉えている場合はこれに相当する。

 細かく列挙してもきりがないのでこのふたつだけにしておくが、この要件をともに満たした場合には完了体を使う。以下の例文を見てみよう。すべてふたつの要件を満たしている。

 厳密に言えば上掲ふたつの要件を満たしていなくても完了体を使う場合がある。完了体の根本的な意義は、言ってしまえば上掲ふたつの要件のうち 1 を表すことにあるからだ。
 上掲ふたつの要件を満たしていない場合、あるいは満たしていても、そこに特殊なニュアンスを持たせたい場合には、基本的に不完了体を使う。たとえば上掲の Я покупал книги в этом магазине, хотя точно не помню когда. は、明確にこのふたつの要件を満たしている(だから英語ではこのような場合に完了を使うのだろう)。にもかかわらず不完了体を使っているのは、この文が「完結」や「1回」よりも、「事実の確認」、すなわち「買うという行為が存在した」ということを中心に言いたい文、という特殊なニュアンスを持っているからである。

 より詳しい体の意義、およびその使い分けについては、非常に複雑なので、別ページにて詳述。

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最終更新日 05 12 2012

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