предложный падеж
«前置格» とはロシア語の格のひとつ。他言語で «処格» と呼ばれるものと同一視されることもある。
歴史的なことを言うと、もともとインド・ヨーロッパ語族の言語に存在した処格から進化したものがロシア語の前置格である。その意味では、「ロシア語の前置格は他言語の処格に相当する」と言える。
他方、処格とはその名のとおり存在する場所、動作のおこなわれる場所を表す。しかしロシア語の前置格には単独ではそのような意味はない。それどころか単独で用いられることすらない。前置格は必ず前置詞とともに用いられ、意味は前置詞の意味になる。つまりロシア語の前置格には処格の役割も意味もなく、その意味では「ロシア語の前置格は他言語の処格ではない」と言うべきである。
ロシア語文法において «処格 местный падеж» と言った場合、まったく異なる意味で用いられることがある。一部の名詞は前置格の語尾を、規則変化と不規則変化のふたつ持っている。場所を意味する場合にのみ限定的に現れるこの特殊な不規則変化を処格と呼ぶ場合があるのである。
なお以下、便宜上名詞を中心に扱うが、原則として形容詞・数詞・代名詞でも話は同じである。これら4つの品詞はロシア語では «名辞類» として(ほぼ)同じ扱いを受ける。
形態
6つの格のうち、I 式と II 式で(単数で)同じ語尾になるのは前置格だけである。しかも軟変化と硬変化の区別もないので(すべて軟音化)、I 式と II 式の名詞はすべて同一の語尾をとることになる(例外は下記)。
I 式 | II 式 | III 式 | ||
---|---|---|---|---|
男性 | 中性 | 女性 | ||
単数 | -е | -и | ||
複数 | -ах/-ях | -ях |
例外
I 式変化の男性名詞が単数前置格で -у́ / -ю́
- いわゆる «処格»。
- 規則変化と共存しているが、互換可能な単語と互換不可能な単語がある。
- 前置格以外の斜格ではアクセントの位置は語幹。
- в ないし на と結合した場合のみ。それ以外の場合は規則変化。
- 場所を表す場合にのみ用いられる。ゆえに в ないし на と結合しても場所を表さない場合は規則変化。ただしこの点は単語にもよる。
- нужда́ во льде́「氷の欠乏」 ⇔ ро́за во льду́「氷の中のバラ」
- この変化語尾が使用されるのは以下のような単語のみ(以下の互換不可/互換可能の分類は必ずしも厳密ではない)。
- 互換不可 : а́д, аэропо́рт, ба́л, бе́рег, бо́й, бо́к, бы́т, ве́рх, ве́тер, гла́з, го́д, до́лг, До́н, жа́р, за́д, кру́г, Кры́м, лёд, ле́с, ло́б, ми́р, мо́зг, но́с, пле́н, по́л, по́лк, по́рт, по́ст, пру́д, пы́л, ра́й, ро́в, ро́д, ро́т, са́д, сле́д, стро́й, су́к, ты́л, хо́лод, цве́т, шка́ф, ...
- 互換可能 : га́з, до́м, ду́б, ды́м, жи́р, зо́б, кра́й, мёд, ме́х, мы́с, о́тпуск, пи́р, ря́д, све́т, сло́й, хо́д, хо́р, це́х, ча́й, ча́с, ша́г, ...
- 文体論的には、互換可能な単語においては、規則変化が古語ないし文語的ニュアンスを持つのに対して、この特殊変化にはニュートラルな、あるいは口語的な、あるいは専門用語的なニュアンスがある。ただし意味により使い分けられる単語、語結合により決まってくる単語などもあるので一概には言えない。
- 互換不可の名詞でも、次のような場合は、規則変化をしなければならない。
- 一致定語(形容詞)がある場合
- 固有名詞の一部となっている場合(小説のタイトルなども含む)
I 式・II 式変化が単数前置格で -и
- 規則変化と共存しておらず互換不可。
- 男性名詞 -ий、中性名詞 -ие、女性名詞 -ия は、単数前置格で -ии となる。
III 式変化が単数前置格で -и́
- 形態的には完全な規則変化。不規則なのはアクセントの位置である。すなわち、単数前置格においてのみ、アクセントが変化語尾に移動する。
- 規則変化と共存しているが互換不可。
- в ないし на と結合した場合のみ。それ以外の場合は規則変化(つまり語幹にアクセント)。
- 場所を表す場合にのみ用いられる。ゆえに в ないし на と結合しても場所を表さない場合は規則変化(アクセントは語幹)。ただしこの点は単語にもよる。
- この変化語尾が使用されるのは以下のような単語のみ(すべて単音節)。
- бро́вь, глу́бь, гру́дь, две́рь, ко́сть, кро́вь, да́ль, но́чь, пе́чь, пы́ль, свя́зь, се́нь, се́ть, сте́пь, те́нь, це́пь, ...
- こんにちでは廃れる傾向にある。たとえば связь は、в связи́ с... か в этой связи́ でしか使われない(それ以外は в свя́зи)。
用法
語結合
ロシア語の前置格はもはや単独で存在することができず、その名の通り前置詞とともにのみ用いられるものとなっている。ゆえに独自の用法を持たない。
しかも現代ロシア語では前置格以外の斜格も前置詞とともに用いることができる(前置詞とともに用いることができないのは主格だけ)。その意味においても、前置格は独自性をまったく持たない格である。
- 名詞と : なし
- 動詞と : なし
- 形容詞・副詞と : なし
- 前置詞と : в、на、о、по、при
- 単独で : なし
基本的意味
現代ロシア語において前置格が用いられるのは、в、на、о、по、при という5つの前置詞と結合する場合だけである。
このうち、場所の意味を持つのは в、на、および при だけである。по も場所を表すが、по+前置格には場所の意味はない。о も含めたこれら5つの前置詞と結合した「前置詞+前置格」がどのような意味を持つかは前置詞次第であり、多種多様である。その点で、前置格は独自の意味すら喪失している。
前置格を支配する単語
動詞
なし。ただし前置詞+前置格を支配、ないし前置詞+前置格と結合する動詞は存在する。特に、個々の前置詞独自の使い方で用いられた前置詞+前置格との結合は、およそすべての動詞であり得る。
- в
- выража́ться в ци́фрах 「数字に表れる」
- заключа́ться в то́м, что ... 「〜の中にある」
- нужда́ться в по́мощи 「支援を必要としている」
- обману́ться в ожида́ниях 「期待を裏切られる」
- отста́ть в разви́тии 「発展に遅れる」
- ошиби́ться в вы́водах 「結論を誤る」
- победи́ть в соревнова́ниях 「試合に勝つ」
- подозрева́ть в воровстве́ 「窃盗の嫌疑をかける」 ⇔ подозрева́ть дру́га 「友人を疑う」
- понима́ть в электро́нике 「エレクトロニクスに精通している」
- призна́ться в преступле́нии 「犯罪を認める」
- прояви́ться в поведе́нии 「ふるまいに表れる」
- разобра́ться в схе́ме 「図面を分析する」
- разочарова́ться в людя́х 「人々に失望する」
- разуве́риться в и́скренности му́жа 「夫の誠実さについて信頼を失う ⇒ 夫の誠実さを疑うようになる」
- расписа́ться в неве́жестве 「無知をさらけだす」
- созна́ться в преступле́нии 「罪を白状する」
- сомнева́ться в пра́вильности отве́та 「答えの正しさを疑う」
- состоя́ть в организа́ции 「組織の一員である」
- убеди́ться в его́ правоте́ 「かれの正しさを納得する」
- уча́ствовать в конце́рте 「コンサートに参加する」
- на
- бази́роваться на нове́йших иссле́дованиях 「最新の研究に基礎を置く」
- жени́ться на актри́се 「女優と結婚する」
- нажи́ться на прода́же 「販売で儲ける」
- настоя́ть на своём 「自分を主張する ⇒ 自分の主張を通す」
- осно́вываться на нау́чных иссле́дованиях 「学問的研究に基づく」
- останови́ться на э́том вопро́се 「この問題に時間を割く」
- отрази́ться на здоро́вье 「健康に影響する」
- сказа́ться на самочу́вствии 「気分に影響する」
- сосредото́читься на вопро́се 「問題に集中する」 ⇔ сосредо́точить свою́ мы́сль 「考えを集中させる」
- специализи́роваться на микробиоло́гии 「微生物学に専念する」
- 道具を表す на
- вяза́ть на спи́цах 「編み棒で編む」
- игра́ть на скри́пке 「バイオリンを演奏する」
- печа́тать на маши́нке 「タイプライターで打つ」
- о : о+前置格は基本的にすべて「〜について」、「〜に関して」という意味で用いられる。ゆえにここで例文を挙げるまでもないが、とりあえず。
- беспоко́иться о де́тях 「子供たちを心配する」
- вспо́мнить о встре́че 「出会いについて思い出す」 ⇔ вспо́мнить но́мер телефо́на 「電話番号を思い出す」
- говори́ть об экза́менах 「試験について言う」
- грусти́ть о про́шлом 「過去を懐かしがる」
- догада́ться о случи́вшемся 「起こったことについて察する」
- договори́ться о встре́че 「面会について合意する」
- ду́мать о бу́дущем 「未来について考える」
- забо́титься о бли́зких 「身近な人たちの世話をする・に気を配る」
- забы́ть об обеща́нии 「約束を忘れる」 ⇔ забы́ть а́дрес 「住所を忘れる」
- заду́маться о бу́дущем 「未来について考え込む」
- заяви́ть о подде́ржке 「支持を表明する」 ⇔ заяви́ть проте́ст 「抗議を表明する」
- зна́ть о него́ 「かれについて知っている」 ⇔ зна́ть его́ 「かれを知っている」
- мечта́ть о путеше́ствиях 「旅行を夢見る」
- пе́ть о любви́ 「愛を歌う」 ⇔ пе́ть пе́сню 「歌を歌う」
- пла́кать о сло́манной игру́шке 「壊れたオモチャについて泣く ⇒ オモチャが壊れて泣く」
- подозрева́ть об опа́сности 「危険性に気づく」
- по́мнить о встре́че 「出会いについて覚えている」 ⇔ по́мнить его́ 「かれを覚えている」
- слы́шать о конце́рте 「コンサートについて耳にする」 ⇔ слы́шать тебя́ 「きみの声が聞こえる」
- сове́товаться о сы́не 「息子について相談する」
- сообщи́ть о землетрясе́нии 「地震について知らせる」
- спо́рить о рабо́те 「仕事について議論する」
- спроси́ть о самочу́вствии 「気分について尋ねる」 ⇔ спроси́ть доро́гу 「道を尋ねる」
- трево́житься о больно́м 「病人のことを憂慮する」
- узна́ть о прибы́тии по́езда 「列車の到着について知る」 ⇔ узна́ть но́вость 「ニュースを知る」
- усло́виться о сро́ке догово́ра 「契約期間を取り決める」
- чита́ть о ко́смосе 「宇宙について読む」 ⇔ чита́ть кни́гу 「本を読む」
形容詞・副詞
なし。
前置詞
- 根源的前置詞 : в, на, о, по, при
- 派生的前置詞 : なし