М05:который について留意点
先行詞の位置
先行詞は、主文の末尾に置かれる(ことが多い)。
これについては、ここまでに挙げた例文のバリエーションがさほど多くないのであるいはピンと来ないかもしれない。ここで言っておくと、関係代名詞 который を使った文においては、その先行詞は、主語であれ目的語であれ何であれ、主文の末尾に置かれる例が多い。これはロシア語の語順の原則を考えてみると、わかるだろう。
ロシア語の語順の原則は、既知の情報を前に、新規の情報、また特に言いたい点を後に置く。であれば、既知の情報について関係詞節を使って情報を補足するようなことはあまりない。情報の補足が必要なのは、新規の情報であろう。ゆえに多くの場合、関係詞節を伴う先行詞は、主文の末尾に置かれることになる。
もちろん、次のような場合もある。
- 「きみが探してた本だけど、ぼくが見つけて机の上に置いといたよ」
これなどは、既知の情報に補足が必要な例である。
- Кни́гу, кото́рую ты́ иска́ли, я́ нашёл и положи́л на сто́л.
このように、先行詞が主文の文頭に置かれることもある。先行詞は主文の中で、関係詞節とは無関係に、独自の論理で位置を決められるから、文末でも文頭でも、はたまた文中でも、あらゆる位置にあり得る。
ここで1点注意。すでに述べたように、関係詞節と主文とは、ザピャターヤで区切られる。ゆえに、この場合 искали と я の間にもザピャターヤが必要になる。
посо́бие(中性名詞)金銭的な援助・手当、参考書・視聴覚教材
- Да́ча мижчи́ны, с кото́рым я познако́мился, нахо́дится ря́дом с на́шей. 「ぼくの知り合った男の人のダーチャは、うちの隣にある」
- Профе́ссор, кото́рый ра́ньше учи́л в Моско́вском госуда́рственном университе́те, тепе́рь живёт зде́сь. 「以前モスクワ大学で教えていた教授は、いまここに住んでいる」
- Посо́бие ру́сского языка́, кото́рое Са́ша у тебя́ взяла́, тепе́рь нахо́дится у меня́. 「サーシャがきみから借りたロシア語の参考書は、いまぼくのところにある」
このように、主文が、間に挟まった関係詞節によって前後ふたつに切り裂かれている。
先行詞と関係代名詞のつながり
関係代名詞 который は、単なる接続詞+代名詞の代わりのように使われることがある。
ие́на /ена/(女性名詞)日本の通貨単位
- Чтобы купи́ть до́м, на́м ну́жно бы́ло девяно́сто миллио́нов ие́н, кото́рого у на́с не́ было. 「家を買うには 9 000万円必要だったが、そんなものはわたしたちにはなかった」
- 9 000万円 девяносто миллионов иен について、念のために。
単語レベルで言うと、百万を意味する миллион は名詞である。ゆえに数詞90 девяносто の要求を受けて複数生格となっている。
しかしロシア語文法は、девяносто миллионов でまとめてひとつの数詞(複合数詞)として扱う。これと結合しているのが円 иена であり、複数生格となっている。
さて、девяносто であれ девяносто миллионов であれ、複数である。当然これを受ける関係代名詞は複数になるはずだ。ところがここでは、которого、すなわち単数になっている。そもそも、主文の述語自体 нужно было と、単数中性形になっている。これはなぜかと言うと、«一致» という厄介な問題になるので、ここでは細かいことは省く。しかしすでにこのコンテンツで述べたように、ものを表す数詞は、単数中性扱いされるのが一般的である。この場合円 иена はものであるから、主文の述語は нужно было となっているし、関係代名詞 которого も単数中性生格になっているのである。
- 9 000万円 девяносто миллионов иен について、念のために。
これは日本語訳の問題でもあるのだが、この文を、例えば「家を買うには、わたしたちにはなかった 9 000万円が必要だった」と訳すと、日本語として不自然である。
一方、このロシア語は、次のように書き換えても何の問題もない。
- Чтобы купи́ть до́м, на́м ну́жно бы́ло девяно́сто миллио́нов ие́н, а его́ у на́с не́ было.
ごく単純化して言うと、先行詞が主文の末尾にあり(ゆえに関係詞節が主文の後に置かれて)、かつ意味からして主文と関係詞節とが時間的な先後関係やものごとの因果関係を表しているような場合がこれに当たる(主文が先で関係詞節が後、主文が因で関係詞節が果)。
стира́льный(形容詞)洗濯の・洗濯用の
слома́ться(完了体動詞) ⇔ лома́ться(不完了体動詞)
割れる・砕ける・折れる、故障・破損する
бронено́сец(男性名詞)戦艦
- Па́па купи́л стира́льную маши́ну, кото́рая слома́лась на друго́й де́нь. 「パパは、翌日壊れた洗濯機を買った」 ⇒ 「パパは洗濯機を買ったが、翌日壊れた」
- на другой день は、「その翌日に」を意味する。なぜ другой なのに「別の日に」ではないのか。なぜ в+対格ではなく на+対格なのか(день は基本的に в+対格)。これらはいずれも другой および на の用法にかかわる話であり、ここではとりあえずこれでまとめて「その翌日に」という意味だ、と覚えておこう。
- この文は、«Стиральная машина, которую папа купил, сломалась на другой день.» 「パパの買った洗濯機は翌日壊れた」と言い換えることも可能だ。
- Я прочита́л по́весть «Оди́н де́нь Ива́на Дени́совича», кото́рую нашёл не та́к интере́сной. 「わたしは、さほど面白いとは思わなかった小説『イヴァン・デニーソヴィチの一日』を読んだ」 ⇒ 「わたしは小説『イヴァン・デニーソヴィチの一日』を読んだが、さほど面白いとは思わなかった」
- повесть は、乱暴に言うと、「中編小説」という意味。大長編を指す роман と短編小説を意味する рассказ の中間に位置する。ただし厳密に言うと、この3つの単語の区別はなかなかに難しい。少なくとも、単なる長さの問題ではない。ここはこの問題について論じる場ではないので、とりあえずこのように理解しておくことにしよう。
ちなみに作者のソルジェニーツィン自身は『イヴァン・デニーソヴィチの一日』を рассказ と呼んだが、発表された雑誌『ノーヴィイ・ミール』では повесть とされていた。
- повесть は、乱暴に言うと、「中編小説」という意味。大長編を指す роман と短編小説を意味する рассказ の中間に位置する。ただし厳密に言うと、この3つの単語の区別はなかなかに難しい。少なくとも、単なる長さの問題ではない。ここはこの問題について論じる場ではないので、とりあえずこのように理解しておくことにしよう。
- В 1925-м году́ впервы́е пока́зан «Бронено́сец Потёмкин» Эйзенште́йна, кото́рый и сего́дня счита́ют одни́м из лу́чших фи́льмов все́х времён. 「1925年に初めて、こんにちでも史上最高の映画のひとつと見なされているエイゼンシュテインの『戦艦ポテョームキン』が公開される」 ⇔ 「1925年に初めてエイゼンシュテインの『戦艦ポテョームキン』が公開されているが、これはこんにちでも史上最高の映画のひとつと見なされている」
- 1925-м は ты́сяча девятьсо́т два́дцать пя́том。
先行詞と関係詞の関係
さて、さらに別の問題である。それは先行詞はどれか、というものだ。
- Посо́бие ру́сского языка́, кото́рое Са́ша у тебя́ взяла́, тепе́рь нахо́дится у меня́. 「サーシャがきみから借りたロシア語の参考書は、いまぼくのところにある」
- О́н позвони́л студе́нту Моско́вского университе́та, с кото́рым познако́мился в То́кио. 「かれは、東京で知り合ったモスクワ大学の学生(男)に電話した」
- Чтобы купи́ть до́м, на́м ну́жно бы́ло девяно́сто миллио́нов ие́н, кото́рого у на́с не́ было. 「家を買うには 9 000万円必要だったが、そんなものはわたしたちにはなかった」
このように、先行詞が関係代名詞直前の名詞ではなく、さらにその前の名詞であることは珍しくない。これは日本語で考えてみてもわかるだろう。
- 眠れる森の美女
は、純粋に理屈からすれば、「眠れる」が森を修飾しているのか、美女を修飾しているのか、明確ではない。「『眠れる』が『美女』を修飾しているのは明確ではないか」と思うかもしれないが、その判断の根拠は文法ではなく意味にある。
- 雨に濡れた庭の花々
という場合、雨に濡れているのは庭だろうか花々だろうか。
このような、修飾語と被修飾語の関係の曖昧性というのは、多くの言語に見られるもので、日本語やロシア語だけの問題ではないし、関係代名詞だけの話でもない。関係詞から話が脱線してしまうが、
- 美しい妻の指輪
は、日本語だと美しいのが妻なのか指輪なのか曖昧だが、ロシア語では
- 美しいのは妻 ⇒ кольцо красивой жены
- 美しいのは指輪 ⇒ красивое кольцо жены
となって明確である。明確な要因は、
- 語順
- 語尾変化
にある。しかし語順はロシア語では(比較的)自由であるし、«Пособие русского языка, которое ...» というような語順では意味がない。そこで語尾変化が重要になってくる。これがあるから、この場合の関係代名詞 которое が русский язык ではなく пособие を修飾していることがわかるのである。
ところが、語尾変化もまた万能ではない。«... студенту Московского университета, с которым ...» は、語順でも語尾変化でも、関係代名詞 который が студент と Московский университет のどちらを修飾しているか、文法的には判別不可能である。意味から推測するしかない。
しかし意味からも推測不可能な場合はどうしたらいいのだろうか。
Э́то бы́л Я́ков, сы́н бога́того не́мца, кото́рый постро́ил на́м больни́цу. 「それは、わたしたちに病院を建ててくれた、金持ちのドイツ人の息子、ヤーコフだった」
この場合、先行詞は Яков だろうか богатый немец だろうか。つまり、わたしたちに病院を建ててくれたのは、ヤーコフだろうか、その父の金持ちのドイツ人だろうか。
покры́ть(完了体動詞) ⇔ покрыва́ть(不完了体動詞)
対格を覆う
гря́зь(女性名詞)ぬかるみ、泥、ごみ・汚れ
Идёт ло́шадь Анастаси́и, кото́рая вся́ покры́та гря́зью. 「全身泥まみれの、アナスタシーヤの馬が行く」
全身泥だらけだったのは、馬だろうか、アナスタシーヤだろうか。読んだり聞いたりした時には、こちらの理解力が問われるわけだが、最悪相手に聞けば正解はわかる。
逆に言えば、全身泥だらけだったのが馬であれアナスタシーヤであれ、このようなロシア語にしてしまうと聞き手・読み手に誤解を与える可能性がある。少なくとも初見では戸惑うロシア人が少なくないだろう。話したり書いたりする場合には、なるべくこのような、誤解を招きかねない表現は避けた方がいい。
では具体的にどのような文に言い換えたらいいか、というのが重要になるのだが、残念ながらそれは初級レベルの話ではない。一番単純な解決法は形動詞を使うことなのだが、これは中級レベルになってから改めて確認することにしよう。
と言うか、初級レベルであまり複雑な言い回しをしようとするものではない。初級レベルの我々としては、ロシア語としてはあまり美しくないが(同じ単語の繰り返しになるので)、
- Идёт ло́шадь Анастаси́и, а ло́шадь вся́ покры́та гря́зью.
- Идёт ло́шадь Анастаси́и, а Анастаси́я вся́ покры́та гря́зью.
とでも言っておこう。複雑な言い回し、美しいロシア語は、せめて中級レベルをクリアしてからの話だ。
念のため。これは文法の話ではない。言葉の感覚の問題である(ロシア語とか日本語とかとは無関係の、普遍的な話だ)。