Д10:Aはない・いない
ここまで、「Aはある・いる」、「AはEにある・いる」、「EはAを持っている」というパターンの文を見てきたわけだが、そのすべてが肯定文であった。最後に否定文を見ていこう。
ロシア語における否定文のつくり方は非常に単純で、否定の小詞 не を挿入するだけである。
#33 否定文にするには не を加えるだけ。
ところが、ここで学んでいるパターンの文においては、そうはいかない。
「Aがない・いない」、「AはEにない・いない」、「EはAを持っていない」という類の文はロシア語では次のようになる。
E+ нет +A(生格)
つまり、
- Aを主格から生格に変える。
- не ではなく нет を使う。
- しかも単に挿入するのではなく、есть を削って代わりに нет を入れる。
この 1. は、理屈からすれば、「存在しないものは主格にできない」というロシア語独特の感覚から来ている。なので、文法上は主語であるはずのAを、主格ではなく生格にしなければならないのだ。
#98 「Aはない・いない」は、Aを生格にする。
есть は「ある・いる」という意味である。これに対して нет が「ない・いない」を意味する。ちなみにどうでもいいことだが、この場合の нет は、「いいえ」、「NO」を意味する нет とは別の単語である。
#99 есть が「ある・いる」、нет が「ない・いない」。
たとえば「通りに車がある/ない」を例に図式してみる。
肯定文 | На у́лице | е́сть | маши́на. |
否定文 | На у́лице | не́т | маши́ны. |
このように、есть が нет と換わる、というのはいい。しかし машина が машины になる、というのは、われわれ日本人の感覚からするとわかりづらいし、なかなか慣れないものだ。
なお、過去時制・未来時制では、肯定文で есть の代わりに быть を使ったように、否定文でも нет の代わりに быть を使う。その場合、быть の前に не を挿入する。
быть の代わりに нет を使う、というわけではないので、その点ではほかの文と違いはない。違いは、Aが生格になる、という点だ。Aが生格になると、文法上は主語ではなくなる。つまり主語のない文になる。主語のない文では、述語副詞を使った文もそうだったが、быть の形は常に単数三人称中性になる。過去時制では было、未来時制では будет である。
#100 「ない・いない」の過去・未来は常に не́ было、не бу́дет。
以下に例文を並べてみるので、上述の理屈をひとつひとつ確認していただきたい。
бо́льше(副詞)もはや・これ以上
никого́ 生格 ⇐ никто́(代名詞)誰も(〜ない)
кто́-то(代名詞)誰か
вокза́л(男性名詞)駅(地上鉄道の、空港の、港の、バス停の建物)
согла́сие(中性名詞)承諾・意見の一致
во́лк(男性名詞)オオカミ
роя́ль(男性名詞)グランドピアノ
кого́ 生格 ⇐ кто́(代名詞)誰
уро́к(男性名詞)授業・レッスン、授業時間
ле́кция(女性名詞)講義・レクチャ
- Бо́га не́т. 「神はいない」 ⇔ Бо́г е́сть.
- Ма́тери бо́льше не́т. 「母はもういない」 ⇔ Ма́ть ещё е́сть.
- Его́ нигде́ не́т. 「かれはどこにもいない」 ⇔ О́н где́-то е́сть.
- Меня́ не́т до́ма. 「わたしは自宅にいない」 ⇔ Я́ до́ма.
- Зде́сь никого́ не́ было. 「ここには誰もいなかった」 ⇔ Зде́сть кто́-то бы́л.
- Ната́лии не́ было на рабо́те. 「ナターリヤは仕事(職場)にいなかった」 ⇔ Ната́лия была́ на рабо́те.
- В э́том го́роде не́т вокза́ла. 「この町には駅がない」 ⇔ В э́том го́роде е́сть вокза́л.
- Мѐжду ни́ми не́т согла́сия. 「かれらの間には合意がない」=「かれらは上手く行っていない」 ⇔ Мѐжду ни́ми е́сть согла́сие.
- У на́с в Япо́нии не́т волко́в. 「日本にはオオカミはいない」 ⇔ У на́с в Япо́нии е́сть во́лки.
- ロシア人はこういう場合に у+生格を使いたがる。意味上はなくてもいいのだが。«У на́с» と言っている以上、これは日本人のセリフである。ロシア人が同じ文を言うとしたら、聞き手が日本人なら «У ва́с...» となるが、聞き手が日本人でなければ «У на́с» も «У ва́с» もない。ということで我々日本人は、「日本では」と言う場合には «У на́с в Япо́нии...»、「ロシアでは」と言う場合には «У ва́с в Росси́и...» という言い方を口に叩き込んでおこう。
- У сестры́ не́т дете́й. 「姉/妹には子供がいない」 ⇔ У сестры́ е́сть де́ти.
- У Та́ни не́ было словаря́. 「ターニャは辞書を持っていなかった」 ⇔ У Та́ни бы́л слова́рь.
- У меня́ не́ было де́нег. 「わたしには金がなかった」 ⇔ У меня́ бы́ли де́ньги.
- У меня́ не бу́дет вре́мени. 「わたしには時間がないだろう」 ⇔ У меня́ бу́дет вре́мя.
- У ва́с не́т роя́ля? 「おたくにはピアノはありませんか?」 ⇔ У ва́с е́сть роя́ль?
- Кого́ не́т сего́дня в кла́ссе? 「今日学校には誰が来ていないの?」=「今日欠席している人は?」 ⇔ Кто́ е́сть сего́дня в кла́ссе?
- Ва́с не́ было на уро́ке. 「あなた(方、お前ら)授業にいませんでしたね」 ⇔ Вы́ бы́ли на уро́ке.
- Его́ не бу́дет на ле́кции. 「かれは講義には来ないだろう」 ⇔ О́н бу́дет на ле́кции.
─ Кака́я ра́зница мѐжду «Пра́вдой» и «Изве́стиями»? 「『ブラヴダ』と『イズヴェスティヤ』(ともにソ連時代の代表的新聞)の違いって何だろう」
─ В «Пра́вде» не́т изве́стий, а в «Изве́стиях» не́т пра́вды. 「『プラヴダ』にはイズヴェスティヤ(ニュース)がないが、『イズヴェスティヤ』にはプラヴダ(真実)がない」