ロシアの歴史は少々複雑である。それにともない「ロシアの君主」と一口に言ってもいろいろ難しい問題を含んでいる。
まず «ロシアとは?» という根源的な問題があるが、ロシア概念のページで取り上げたので、ここでは繰り返さない。
とりあえず、図式化すると、13世紀頃まではこんにちのロシア、ウクライナ、ベラルーシは共通の «ルーシ» なる国であり、それが13世紀以降に分裂し、それぞれ独自のアイデンティティを持つようになってロシア、ウクライナ、ベラルーシが誕生した。ロシア人はいつまでも(いまでも)「ウクライナ、ベラルーシもロシアである」という意識を持ち続けた(持ち続けている)が、ウクライナ人はどう遅く見積もっても17世紀までには独自意識を確立していたと思う(ベラルーシ人はもっと遅かったろう)。なので、17世紀(頃)以降のウクライナ、ベラルーシは対象外とするが、それ以前はロシアとの区別が曖昧であったことから、ここで取り扱うことにする。
さらに «君主とは?» というのもまた厄介な問題であるが、政治学的な話を始めても仕方がないので、歴代君主のページ以下を参照してもらいたい。特にリューリク家の分領公の扱いが難しいが、それ以外は常識的な範囲であろう(コサックのヘトマンは例外)。
ということで、ここでは細かい話はすべて省いて、以下のような図式で理解しておきたい。かっこの中が君主である。
ロシア | ウクライナ | ベラルーシ | |
---|---|---|---|
862-882 | キエフ・ルーシ(ノーヴゴロド公) | ||
882-12 в. | キエフ・ルーシ(キエフ大公) | ||
12 в.-1241 | キエフ・ルーシ(ヴラディーミル大公) | キエフ・ルーシ(キエフ大公) | キエフ・ルーシ (ポーロツク公) |
1241-14 в. | «タタールのくびき»(ヴラディーミル大公) | キエフ・ルーシ(ガーリチ=ヴォルィニ公) | |
14 в.-1480 | «タタールのくびき»(モスクワ大公) | リトアニア領 ※ウクライナの一部はポーランド領 | |
1480-1547 | モスクワ・ロシア(モスクワ大公) | ||
1547-69 | モスクワ・ロシア(ツァーリ) | ||
1569-1667 | ポーランド領 | リトアニア領 | |
1667-1721 | ロシア領・ポーランド領 | ||
1721-95 | ロシア帝国(皇帝) | ||
1795-1917 | ロシア領 ※ウクライナの一部はオーストリア領 |
※16世紀から1763年までウクライナ・コサックにはヘトマンがいた。
基本的には、ロシアに君臨した歴代のノーヴゴロド公、キエフ大公、ヴラディーミル大公、モスクワ大公、ツァーリ、皇帝を扱うが、ウクライナとベラルーシも(特に過去においては)ロシアと密接にかかわっているので(と言うより区別することが不可能なので)、ウクライナとベラルーシの君主についても適宜扱う。
なお、表記についてひとこと。
いくつかのページでスタイルシートを使用して家系図をつくっているが、環境次第では表示がおかしくなる可能性もある。その点留意していただきたい。(正常に)表示できない場合のため、画像も用意しておいた。原寸大なので、大きくて見づらい場合にはコピーしていただき、お手持ちの画像閲覧ソフトで縮小表示していただきたい。
表示がおかしくなるのは、(x)HTMLに正確に準拠していないブラウザ(IE)で閲覧しているか、あるいは画面が縮小表示される場合である(タブレット)。