ロシア・ソ連の国歌

Интернационал/L'Internationale
インターナショナル

作曲:ピエール・ド・ジェイテル музыка Пьера Дегейтера/Pierre Chretien De Geyter
作詞:ウジェーヌ・ポティエ слова Эжена Потье/Eugène Edine Pottier
訳詞:アルカーディイ・コツ перевод на русский Аркадия Яковлевича Коца

Встава́й, прокля́тьем заклеймённый,
Ве́сь ми́р голо́дных и рабо́в.
Кипи́т на́ш ра́зум возмущённый
И в сме́ртный бо́й вести́ гото́в.
Ве́сь ми́р наси́лья мы́ разру́шим
До основа́нья, а зате́м
Мы́ на́ш, мы́ но́вый ми́р постро́им,
Кто́ бы́л ниче́м, то́т ста́нет все́м.

Э́то е́сть на́ш после́дний
И реши́тельный бо́й.
С Интернациона́лом
Воспря́нет ро́д людско́й!

Никто́ не да́ст на́м избавле́нья ─
Ни бо́г, ни ца́рь и ни геро́й,
Добьёмся мы́ освобожде́нья
Свое́ю со́бственной руко́й.
Чтоб све́ргнуть гнёт руко́й уме́лой,
Отвоева́ть своё добро́,
Вздува́йте го́рн и ку́йте сме́ло
Пока́ желе́зо горячо́.

Лишь мы́, рабо́тники всеми́рной
Вели́кой а́рмии труда́,
Владе́ть землёй име́ем пра́во,
Но парази́ты ─ никогда́.
И е́сли гро́м вели́кий гря́нет
Над сво́рой псо́в и палаче́й,
Для на́с всё та́к же со́лнце ста́нет
Сия́ть огнём свои́х луче́й.

起て 呪いにより烙印を押されし
飢えたる者と奴隷の全世界よ
猛り立つ我らが理性は沸き立っている
生死を賭けた戦いをする用意はできている
圧制の全世界を我らは粉砕する
その根底まで その後で
我らは我らの新しき世を築く
何者でもなかった我らがすべてになるのだ

これぞ我らの最後にして
決定的な戦いだ
インターナショナルと共に
人類が立ち上がる

誰も我らに救済をもたらしてはくれない
神も 皇帝も 英雄も
我らは解放を勝ち取る
我ら自身の手によって
優れた腕で重圧を払いのけるため
自らの幸福を戦い取るために
炉に空気を送り 大胆に鍛えよ
鉄がまだ熱いうちに

ただ我ら 全世界の
偉大なる勤労大衆の労働者だけが
大地を治める権利を有する
寄生虫には決してない
犬と死刑執行人の群れの上に
大いなる雷鳴が轟くとしても
我らにとっては太陽が
その光の炎で輝くことだろう

 1871年のパリ・コミューンの際につくられた詩(フランス語)に、1888年になって曲がつくられた。
 その後、第二インターナショナルを中心に、国際的に労働者運動の歌として親しまれた。その際、各国語に翻訳されている。ロシア語の訳詞も、1902年に第1節、第2節、第6節が翻訳された。必ずしも逐語訳ではないが、ほぼ原詞をなぞっている(これはドイツ語、スペイン語、英語でもそう。日本語はかなり違っている)。
 ロシア語の歌詞が出来たのが遅かったためか、労働運動の歌、革命運動の歌としてはロシアで長い歴史と伝統を誇る『労働者のマルセイエーズ』に一歩も二歩も譲り、1905年の第一革命の際にも民衆が口ずさんだのは『インターナショナル』ではなく『労働者のマルセイエーズ』であった。
 1906年、ロシア社会民主労働者党が党の歌として採用した。

 1917年、十月革命によりボリシェヴィキー政権が成立する。これに伴い、早速社会主義政権にふさわしいシンボルづくりが始まる。紋章、国旗の制定は難航したが、国歌は最も早く決められた。すでに二月革命の直後にレーニンが『インターナショナル』を国歌とするよう提言していたこともあり、1918年1月、人民委員会議の決定により『インターナショナル』が国歌として採択された。以後、1943年までロシア・ソ連の国歌。
 臨時政府時代に事実上国歌となっていた『労働者のマルセイエーズ』も革命の歌ではあるが、現にフランスの国歌として(しかもブルジョワ国家)使われているのがよろしくない、ということだったのだろう。

 なお、ロシア語の歌詞を書いたコツは1931年になって、原詞のうち未訳であった第3節、第4節、第5節を翻訳している。
 しかしソヴィエト・ロシアの、そしてソ連の国歌として歌われたのはそれ以前に翻訳されていた三節のみ。第3節から第5節までは、「とりあえず訳がある」という程度のもので、おそらく一度も歌われたことはあるまい。よって、ここでも第1節、第2節、第6節のみを紹介しておく。

 なお、1943年に『ソヴィエト連邦国歌』がつくられて国歌の地位を失った後も『インターナショナル』は「ソ連共産党歌」として歌われ続けている。

Midi音源について

 原則として Г. В. Калашников. Гимны России. М., 2006 所収の楽譜に従ったが、都合により多少アレンジを加えたところもある。
 作成は Studio ftn Score Editor による。フリーで提供してくださっている作者様(Studio ftn)には、この場を借りてお礼申し上げる。
 この音楽ファイルや演奏について何か問題があれば、わたしが音楽には素人であること(楽譜の読み方も知らない)、このソフトの使い方に習熟していないこと、音楽ファイルについては何も知らないこと、等によるものであり、Г. В. Калашников. Гимны России や Studio ftn Score Editor とは基本的に無関係である。

 なお、ロシア語版『インターナショナル』は、アレンジが若干フランス語版や日本語版、英語版、ドイツ語版などと異なる。
 歌う際には、サビの歌詞を二度繰り返す。

 internationale.mid

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最終更新日 17 01 2013

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