ロシア帝国の紋章

 

ロシア帝国の紋章は、«双頭の鷲 двуглавый орел (dvuglavyy orel)» である。

双頭の鷲

 シンボルとしての双頭の鷲の歴史は古く、すでに古代エジプトやヒッタイトによって使われていた。天高く悠々と舞う鷲そのものが古来、天の力、炎、不死などの象徴として愛好されてきている。
 古代ローマ帝国でも帝権の象徴として鷲が多用されたが、このときはまだ «双頭» ではなかった。鷲が双頭になるのは古代ローマ帝国の崩壊後、ビザンティン帝国の時代に入ってからである。特にパライオロゴス朝時代(1261-1453)には双頭の鷲は完全にビザンティン皇帝のシンボルとして定着した。
 この頃使われていたデザインを、ロシアでは «パライオロゴスの鷲» と呼んでいる。細かい部分をはしょって一口で言えば、赤地に金色の鷲が描かれたもの、と言っていいだろうか。話が先走るが、この «パライオロゴスの鷲» と、西欧から持ち込まれた双頭の鷲とが、ロシアの紋章史においては長い戦いを水面下で繰り広げていた。帝政時代は金地に黒いドイツ風双頭の鷲が圧倒的だったが、現在のロシア連邦の紋章は赤地に金の «パライオロゴスの鷲» である。

 鷲はナポレオンも自身の紋章としたし(単頭で翼は閉じている)、ナチス・ドイツでも使われた(単頭で翼を広げている)。もっとも厳密に言うとナチス・ドイツはドイツ帝国の紋章を流用したものと思われるし、ドイツ帝国の紋章はプロイセン王国の紋章を流用したものである。

 西ヨーロッパで双頭の鷲がシンボルとして使用された最古の記録は、12世紀のとある伯爵の印章であるとされている。その直後、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世・バルバロッサが金貨に使用。ただしこの «とある伯爵» にせよフリードリヒ・バルバロッサにせよ、«紋章として» 双頭の鷲を使用した確証は残っていない。
 その後、ホーエンシュタウフェン家がシチリア王位を継承したのに伴い、双頭の鷲のデザインもシチリアに持ち込まれ、以後シチリア王のシンボルとして定着していく(もっとも、ほかの意匠が使われたこともある)。
 フリードリヒ・バルバロッサが使用していたにもかかわらず、双頭の鷲が神聖ローマ皇帝のシンボルとして定着したのははるかに遅く、15世紀に入ってからである。皇帝ジギスムントが使い始め、それを以後のハプスブルク家の歴代皇帝が引き継いだものである。ちなみに、金地に黒鷲、嘴と肢が赤、という、ドイツで一般的な鷲(単頭であれ双頭であれ)の紋章の配色である。

 東ヨーロッパでは、双頭の鷲の使用はビザンティン帝国の影響、と言うよりはむしろ、ビザンティン皇帝の権威に対する挑戦として使用された。具体的には、ブルガリアとセルビアの王や皇帝たちによってである。

 ロシアで最初に双頭の鷲を使用したのは、モスクワ大公イヴァン3世大帝(1462-1506)である。
 かれが双頭の鷲を自身の権力の象徴として使用し、さらにはツァーリを自称した理由は、いくつか考えられる。

  1. 最後のビザンティン皇帝の姪と結婚したことでビザンティン帝国のシンボルを継承した。
  2. 西欧諸国(特に双頭の鷲を紋章としていたハプスブルク家)との交流を通じてその慣習を導入した(ハプスブルク家の皇帝はカイゼルを名乗っていた)。
  3. ビザンティン帝国の伝統を国家建設に使用したブルガリアやセルビア(両国とも双頭の鷲をシンボルとして使用していた)の慣習に倣った(両国とも皇帝はツァールを名乗っていた)。

 こんにちでは第2の説が有力なようだ。と言うのも、ひとつには、同時期にトヴェーリ大公ミハイール・ボリーソヴィチ(1461-85)も双頭の鷲を自身のシンボルとして使用しているからである。

 ちなみに、紋章とは本来 «盾に描かれたもの» であるが、双頭の鷲は基本的に盾の中には描かれない(ロシアだけでなく西欧でも)。大紋章ならばともかく、通常使用される小紋章では、双頭の鷲はむしろその胸に描かれる盾の «下地» の役割を果たす。
 その限りにおいて、双頭の鷲のイメージが紋章であるか否かの判断は難しい。ロシアにおいても、極論すれば、後述する1667年のアレクセイの勅令で初めて «双頭の鷲が紋章である» と規定されるまではその点が曖昧であったと言っていい。

デザインの変遷

 イヴァン雷帝の即位(1547)の頃、鷲が口を開けて舌を出す。紋章学的には、鷲であれ獅子であれグリュフォンであれ、口を開けて舌をベーッと出した姿というのは武装していることを意味する(«武装せる鷲»)。
 同じくイヴァン雷帝の治世初期、初めて双頭の鷲の胸にモスクワの紋章(聖ゲオルギオス)が描かれる。これは神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)の模倣であると思われる。神聖ローマ皇帝の紋章でも、双頭の鷲の胸にオーストリア大公の紋章が描かれている。
 イヴァン雷帝の晩年(1570s-)、双頭の鷲の周囲(あるいは翼の上)にモスクワ大公国を構成する諸地方のシンボルが描かれるようになった。
 偽ドミートリイ1世の治世(1605-06)、鷲が初めて翼を扇形に広げる(神聖ローマ帝国の模倣であり、それまでは閉じていた)。
 それまで鷲はひとつ乃至ふたつの王冠を戴いていたが、ミハイールの治世(1613-45)初期、3つめの王冠が登場する。
 1654年、初めて鷲がスキーペトル(王笏)とデルジャーヴァ(上に十字架のついた球)を掴む(これも神聖ローマ帝国の模倣)。

 1667年、アレクセイは次のような勅令を発した。これによって初めて双頭の鷲は法律上ロシアの紋章となったことになる。
 なお、アレクセイは紋章に関心を持った初めてのツァーリで、神聖ローマ皇帝レーオポルト1世に依頼して専門家を派遣してもらい、ロシアにおける紋章の普及に努めた。

双頭の鷲はツァーリ・アレクセイの紋章である。双頭の鷲の上には、カザン・ハーン国、アストラハン・ハーン国、シビル・ハーン国を象徴する3つの王冠が描かれる。胸には騎士が描かれる。肢にはスキーペトルとリンゴ(デルジャーヴァのこと)。
Орел двоеглавый есть герб державный Великого Государя, Царя и Великого Князя Алексея Михайловича..., на котором три коруны изображены знаменующие три великие Казанское, Астраханское, Сибирское славныя царства, покоряющиеся Богом хранимому и высочайшей Его Царского Величества милостивейшаго Государя державе и повелению... на персях изображение наследника; в пазноктах скипетр и яблоко, и являет милостивейшаго Государя, Его Царского Величества Самодержца и Обладателя.

 1729年の女帝エカテリーナ1世の勅令。

双頭の鷲は、黒。頭の上には王冠、最上部中央には大きな金の帝冠。中央には白馬に乗ったゲオルギオスが、«ズミーイ» を突いている。マントと槍は黄色。王冠は黄色。«ヘビ» は黒。地は白で、中央は赤。
двоеглавый орел, черный, на главах короны, а наверну в средине большая Императорская корона-золотые; в средине того орла, Георгий на коне белом, побеждающий змия; епанча и копье желтые, венец желтой, змей черный; поле круглом белое, а в середине красное.

 赤地に金という «パライオロゴスの鷲» に代わって金地に黒という «ドイツ風» になったのがいつかは判然としないが、上のエカテリーナ1世の勅令では明確に «黒い鷲» とされている。遅くとも18世紀半ばには «パライオロゴスの鷲» はほぼ駆逐された。
 なお、この勅令では同時に初めて胸に描かれる騎士が «聖ゲオルギオス» であることが明らかにされている。

 その後も紋章には細かい部分を含めれば数え切れない程の変更が加えられた。1882年に大紋章の、1883年に中紋章と小紋章の素描が皇帝の勅許を得た。それでもその後トゥルケスターンを表す紋章が加えられるなどの変更があった。
 ちなみにこの頃の紋章は、紋章としては «最終形態» である。1883年に認可された小紋章と当時のオーストリア帝国の小紋章とを見比べてみると、紋章を構成する諸要素がそっくり同じであることがわかる(ただしオーストリアの鷲は王笏ではなく剣を持っている)。
 この時の勅令。

ロシアの国家紋章は金地の盾に描かれた黒い双頭の鷲である。ふたつの帝冠を戴き、その上に第3の、同様だがより大きな冠を戴いている。第3の冠には聖アンドレイ勲章のはためくリボンが付随する。双頭の鷲は金のスキーペトルとデルジャーヴァを持つ。胸にはモスクワの紋章が描かれる。すなわち真紅の盾に描かれた聖ゲオルギオスで、騎乗し、金の槍でドラゴンを突いている。
Российский Государственный герб есть в золотом щите черный, двоеглавый орел, коронованный двумя императорскими коронами, над которыми третья, такая же, в большем виде, корона с двумя развевающимися концами ленты ордена Святого Апостола Андрея Первозванного. Государственный орел держит золотые скипетр и державу. На груди орла герб Московский: в червленом щите Святый Великомученик и Победоносец Георгий, на коне, поражающий дракона золотым копьем.

 なお、この時認可された大紋章がどうなっているかを見てみよう。

 ただし、これらの各要素はものによってコロコロ変わる。盾持ちもユニコーンやグリュフォンになったりすることがあるし、上述のように、周辺を飾る小紋章にもその後トゥルケスターンの紋章が加えられている。変わらないのは «双頭の鷲» と «СЪ НАМИ БОГЪ» のみ(天蓋には限らないがどこかに書かれる)。あとせいぜい盾を囲む聖アンドレイ勲章。

聖アンドレイ・ペルヴォズヴァンヌィイ

 脱線になるが、ここで使徒アンデレについてひとこと述べておきたい。
 12使徒のひとりである聖アンデレは、聖ペテロの兄弟であり、聖ペテロとともに最初にイエスの弟子となったことから、ロシアではアンドレイ・ペルヴォズヴァンヌィイ Андрей Первозванный (Andrey Pervozvannyy)(直訳すると «最初に呼ばれたアンドレイ»)と呼ばれている。のち、聖アンデレが黒海沿岸部(現ウクライナ南部)に宣教を行った、との伝説が生まれ、そのためにロシアでは «ロシアに最初に福音を伝道した使徒» として非常に敬われ、ロシアの守護聖人とされている。ちなみに、ほかに聖アンデレを国の守護聖人としているのはスコットランド。
 スコットランドの国旗は青地に白いばってん(×)だが、この «斜め十字» は、聖アンデレがこの形の十字架にはりつけにされた、との伝承から «聖アンデレの十字» と呼ばれる。そのためスコットランドの国旗は «聖アンデレの十字 St. Andrew's Cross» と呼ばれる。
 ロシアでは白地に青いばってんが «アンドレイ旗 Андреевский флаг (Andreevskiy flag)» と呼ばれ、ピョートル大帝(1689-1725)によって艦船の掲げるべき旗とされて以来、こんにちでも(そのバリアントが)使われている。このため一時期は外国からロシアの国旗として認識されていたこともあった。
 同じくピョートル大帝によってロシア初の勲章として制定されたのが聖アンドレイ勲章である。

臨時政府の紋章

 1917年、帝政を打倒した二月革命で誕生した臨時政府にとって、印章や紙幣に、新たな共和制ロシアのシンボルとして何を描くかは早急に決定しなければならない問題であった。公文書ひとつ発布するにしても、紋章、あるいは印章が刻印されていなければ話にならないからである。
 ゴーリキイを中心に、ブノワ、レーリヒなどをメンバーとして委員会を設置し、この問題を検討させた結果、イヴァン大帝時代の双頭の鷲を使用することが決定された。つまり、王冠だとかスキーペトルだとかデルジャーヴァといった、王権の象徴を何ひとつ持たない、裸の鷲である。胸のモスクワの紋章すらない。ただし口を開けて舌を出している。なお、翼は左右に大きく広げているものも、下に垂らしているものもある。
 印章や紙幣に使用するシンボルであるため、色はたぶん確定されていない(この点確認できていない)。
 臨時政府は国旗も帝政時代のものを流用したが、双頭の鷲も長きにわたりロシアのシンボルとして親しまれてきただけに、別の意匠に変更しようがなかったのかもしれない。

 ただし、これは紋章ではない。法律上の文言としては、双頭の鷲はあくまでも印章のデザインである。実際には紙幣にも描かれたし、事実上紋章としての役割も果たしていたが、公式には紋章は憲法制定会議で決定すべきである、として臨時政府はその制定を先送りにした。

 この双頭の鷲のデザインは十月革命後も、1918年に鎌と鎚から成る紋章が決定されるまで、ボリシェヴィキー政権によって使用されていた。

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最終更新日 17 01 2013

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