モスクワ大公国の紋章

紋章以前

 ロシアに紋章が輸入されたのは遅く、一般に定着したのは18世紀になってからである。
 それ以前にも歴代ツァーリやモスクワ大公は双頭の鷲や騎士像を自身のシンボルとして使用していたし、それが西欧ではロシアの紋章として認識されていたようだが、厳密に言えば1667年にツァーリによって双頭の鷲がツァーリの紋章として勅令で定められるまでは、ロシアには紋章はなかったと言っていい。
 それまでツァーリの、さらにさかのぼってモスクワ大公の権威を象徴していたのは旗と印章 печать (pechat')であった。

 すでに述べたように、学問的には印章と紋章は区別すべきである。紋章はしばしば印章や硬貨にも使用されたデザインであるが、印章はあくまでも «ハンコウ» であり、別に紋章のように «盾のフレームに描かれたもの» でなくともかまわない。
 そもそも歴史的にも、印章は紋章よりもはるかに古い過去を有する。ゆえに正確には、上記の文は「印章や硬貨に使用されたデザインがしばしば紋章として使用された」と言い換えなければならない。すなわち、古来、印章や硬貨、あるいは旗に、君主や国家を象徴する何らかの図柄が描かれてきたが、12世紀以降に紋章が発展していく中で、この図柄が紋章として流用されたのである。

聖ゲオルギオス

 ルーシ諸公が印章や硬貨を使用しはじめたのがいつ頃かは判然としないが、キエフ大公ヤロスラーフ賢公(1016-54)が発行した銀貨が残っている。そこには、聖ゲオルギオスが刻まれている。

 聖ゲオルギオスとはキリスト教の聖者で、様々な伝説を総合すると、西暦400年頃の中近東で殉死したことになる。6世紀にはすでに聖者として言及されていたらしい。のち、カッパドキア出身で、リビアでドラゴンから少女を救い、多くの人々を改宗させ、皇帝ディオクレティアヌスによる弾圧でニコメディアで殉教した、という伝説が形成されていく。
 その後、騎士の守護聖人となり、ヨーロッパ中に崇拝が広がる。イングランドではその守護聖者とされている。英語では聖ジョージ Saint George と呼ばれ、白地に赤十字のイングランド国旗は «聖ジョージの十字 St. George's Cross» と呼ばれる。

 イングランドの守護聖者となったのはおそらく14世紀。ちょうど同じ頃、ロシアでも聖ゲオルギオスがモスクワの守護聖者となった。
 ロシアでは聖ゲオルギオスはゲオルギイ・ポベドノーセツ Георгий Победоносец (Georgiy Pobedonosets)(直訳すれば «勝利をもたらすゲオルギイ»)、あるいはゲオルギイ・ドラコノボーレツ Георгий Драконоборец (Georgiy Drakonoborets)(直訳すると «ドラゴンと戦うゲオルギイ»)と呼ばれる。もっともロシアでは、聖ゲオルギオスが倒したのはドラゴンではなく «ズミーイ змий (zmiy)»、すなわち、蛇の姿でイヴを誘惑した悪魔だとされている。
 モスクワの守護聖人となったのは、モスクワを建設したとされるのが、聖ゲオルギオスと同名のユーリイ・ドルゴルーキイ(-1157)だったからであるとされる(ギリシャ語のゲオルギオスは、ロシア語ではゲオルギイ、ユーリイ、エゴールの3つの形に訛っている)。
 聖ゲオルギオスがモスクワの守護聖者となったのはモスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイの治世(1359-89)であったと考えられている。しかしヤロスラーフ賢公の例に見られるように、ルーシ諸公は聖ゲオルギオスを、それよりはるかに以前から自身の権威の象徴として、印章や硬貨に使用していた。

 印章や硬貨などに騎士像を描く習慣は、西ヨーロッパではおそらく11世紀に遡る。12世紀に入るとポーランドやチェコの王たちもこれを模倣するようになる。この場合の騎士像は通常、疾駆する馬にまたがり右手で剣を振りかざしている。
 ルーシ諸公でこのような騎士像を最初に使用したのは、記録に残る限りでは、ノーヴゴロド公ムスティスラーフ幸運公(-1228)である。その後歴代ノーヴゴロド公がこれを継承。アレクサンドル・ネフスキイ(1220-63)を経て北東ルーシ(ほぼ現ロシア北部)に広く伝播していく。おそらくこの過程で、この騎士像と聖ゲオルギオスが結び付けられたのだろう。いつの間にか右手は剣から槍に持ち替え、振り上げていたものを突き降ろすようになった。
 この意匠を最初に使用したモスクワ大公もドミートリイ・ドンスコーイとされているようだが、あるいは聖ゲオルギオスがモスクワの守護聖人となったことで、騎士の意匠と関連づけられ、モスクワ大公のシンボルとして取り入れられたのかもしれない。

 ただし実は、この騎士が聖ゲオルギオスである、とは一度も明確にされてこなかった。公式筋がこれを確認したのはようやく1730年になってからである。とはいえ、この騎士が聖ゲオルギオスであるのは一目瞭然であり、また誰もがそう認知していた。
 もっとも、厳密に言えば、聖ゲオルギオスは聖者であるので、後光がなければならない。イコンなどでは必ず後光が描かれている。ところがこの騎士には後光が描かれたことがない。

 なお、14世紀から16世紀にかけての時期はロシアに西欧から様々なシンボルが輸入された時代でもあった。モスクワ大公は、それまで自身を象徴する視覚的デザインとして特に定まったものを有していなかったが、広く西欧で普及しているシンボルをいくつか試している。そのひとつが騎士像(聖ゲオルギオス)であり、ほかにもユニコーン、グリュフォン、そして双頭の鷲がある。
 モスクワ大公が聖ゲオルギオスを自身のシンボルとして印章や硬貨で使いはじめたのはドミートリー・ドンスコーイの時代だが、その100年後、イヴァン3世大帝(1462-1506)は初めてツァーリと名乗ると同時に双頭の鷲をシンボルとして使用しはじめた。
 その後急速に双頭の鷲が普及し、ユニコーンなどは駆逐されていくが、聖ゲオルギオスは残る。イヴァン大帝の使用した印章では、聖ゲオルギオスと双頭の鷲が併置されている。孫のイヴァン4世雷帝の時代(1534-84)には、次の項目で述べるように聖ゲオルギオスは双頭の鷲の胸に描かれるようになる。こうして聖ゲオルギオスと双頭の鷲は組み合わせられたが、その際双頭の鷲がツァーリ・皇帝のシンボルとして認識され、聖ゲオルギオスはモスクワのシンボルと見なされた。この結果、こんにちでもモスクワ市の紋章は聖ゲオルギオスとなっている。

聖ゲオルギオスの紋章

モスクワ市の紋章

 デザイン的に見ると、多少の変遷は見られたが、基本的な部分は変わらない。
 地は真紅。聖ゲオルギオスは銀(紋章学では白を銀と呼ぶ)の鎧に身を包み、銀の馬にまたがっている。背には青いマントがたなびいている。聖ゲオルギオスの持つ金(紋章学的には黄色を金と呼ぶ)の槍は、馬の足元にいる黒い «ズミーイ» を突いている。
 ここには、白、青、赤の三色が使われており、これがロシア国旗の色ともなっている。

 上述のとおり、ロシアでは聖ゲオルギオスが倒したのは単なるドラゴンではなくイヴを誘惑した «ズミーイ»(蛇=悪魔)であると考えられている。紋章学的にはドラゴンと «ズミーイ» は別であり、四肢の数によって区別される。«ズミーイ» は4本肢、ドラゴンは2本肢である。少なくともロシアにおける聖ゲオルギオスの紋章で、ドラゴンが描かれたことはない。

 こまかい話になるが、聖ゲオルギオスは右向きで描かれる時もあれば左向きで描かれる時もある。少なくともわたしの確認した限りでは、19世紀半ばまでは向かって右側を向いており(右半身を見せて左半身を隠す)、19世紀後半以降は逆向きになったようだ。

 ロシア連邦の紋章においては、双頭の鷲の胸に描かれる聖ゲオルギオスは右向き(19世紀以前のタイプ)。もっとも、法律上は聖ゲオルギオスという名は直接挙げられず、後光も描かれない。他方、足元に描かれるのは明確に «ズミーイ» であるが、法律の文言上はドラゴンとされている。
 一方、モスクワ市の紋章でも聖ゲオルギオスは右向きだが、こちらでは条例で聖ゲオルギオスと明言され(そのくせやはり後光はない)、またドラゴンではなく «ズミーイ» としている。ちなみに、地の色も真紅ではなく「暗い真紅」とされている。

モスクワ市の紋章は、横と縦の比率が8:9の暗い真紅の紋章学的盾に描かれた、向かって右を向いた騎士、聖ゲオルギオスである。聖ゲオルギオスは銀の武具に身を包み、空色のマントをはおり、銀の馬に乗っており、金の槍で黒い «ズミーイ» を突いている。
Герб города Москвы представляет собой изображение на темно-красном геральдическом щите с отношением ширины к высоте 8:9 развернутого вправо от зрителя всадника ― Святого Георгия Победоносца в серебряных доспехах и голубой мантии (плаще), на серебряном коне, поражающего золотым копьем черного Змия.

モスクワの紋章 © モスクワ政府公式サイトПРАВИТЕЛЬСТВО МОСКВЫモスクワ市の紋章

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最終更新日 17 01 2013

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