ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ
Василий Васильевич
ヤロスラーヴリ公 князь Ярославский (1345-)
生:1339
没:?
父:ヤロスラーヴリ公ヴァシーリイ雷眼公 (ヤロスラーヴリ公ダヴィド・フョードロヴィチ)
母:エヴドキーヤ (モスクワ公イヴァン1世・カリター)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | ヤロスラーヴリ | アンナ | ロストーフ公イヴァン・ブィチョーク | ||
2 | フョードル | ヤロスラーヴリ | ||||
3 | セミョーン | ノヴレンスコエ | ||||
4 | ドミートリイ | ザオゼーリエ | ||||
5 | ヴォイン |
第16世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。
1345年、父の死でヤロスラーヴリ公位を継承。ただし、当時はまだ叔父のモローガ公ミハイール・ダヴィドヴィチが存命中。兄弟相続が一般的な当時のルーシにあって、なぜ叔父ではなく甥のヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチが、しかもまだ6歳の幼児がヤロスラーヴリ公位を継承した(できた)のか、よくわからない。
1364年、黒死病が流行。
1372年、ノーヴゴロドの自由民が襲来し、ヤロスラーヴリを攻略された。もっともこの時ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチがどこで何をしていたのかは不明。
ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチは、父と同様にモスクワに従属的な立場に立たされた。特に当時はモスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイが北東ルーシ全域に覇権を及ぼしつつあり、ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチもしばしばその軍事行動につき従っている。
1375年、トヴェーリ遠征に従軍。1380年のクリコーヴォの戦いにも従軍したらしい(?)。
没年は不明。