セミョーン・ロマーノヴィチ
Семен Романович
公 князь
ボヤーリン боярин (1463-)
生:?
没:1502
父:ロマーン・イヴァーノヴィチ公 (ヤロスラーヴリ公イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・ボリショーイ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | コンスタンティーン・シセーイ | |||||
2 | ピョートル・クリヴォーイ | |||||
3 | イヴァン・セメイカ |
第19世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。
1463年、ヤロスラーヴリ公領がモスクワ大公領に併合されると、ボヤーリンの地位を与えられた。
1468年にはチェレミース人、1474年にはカザン・ハーン国への遠征を指揮。1487年にはカザンを陥とし、ハーンを捕虜とした。1496年にはヴィボルク(現ヴィープリ、フィンランド)に遠征し、スウェーデンと戦う。1499年にはカザンに遠征し、ハーン国の内紛でハーンを支援。