イヴァン・ミハイロヴィチ・トロエクーロフ
Иван Михайлович Троекуров
公 князь
ボヤーリン боярин (1556-)
生:?
没:1564
父:ミハイール・リヴォーヴィチ・トロエクール公 (レフ・ロマーノヴィチ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
フョードル | ||||||
ミハイール |
第21世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
1520年から各地に総督・軍司令官として派遣される。
1530年代前半には南方防衛を委ねられ、トゥーラ、オドーエフ、ノーヴゴロド=セーヴェルスキイなどで対クリミア戦を指揮。
1535年にモジャイスクにまわされ、対リトアニア戦線で活躍。1536年にはムーロムに、続いてニージュニイ・ノーヴゴロドに派遣されて、ウラル方面を任された。
その後も、南方と東方で対タタール戦の指揮を執り続けた。