スモレンスク系モノマーシチの一系統。スモレンスク公ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチ(12)の子フョードル黒公(13)を始祖とする。
フョードル黒公(13)は元来スモレンスクの分領モジャイスクの公であり、ヤロスラーヴリはロストーフ系の分領であった。しかしロストーフ系のヤロスラーヴリ公家が断絶したため、娘婿のフョードル黒公(13)がヤロスラーヴリを継いだ。女系を通じた分領の相続は非常に稀な例である。
フョードル黒公(13)自身はその後スモレンスク公となっているが、分領ヤロスラーヴリがスモレンスク公領内にはなかったこともあり、その後ヤロスラーヴリ系はスモレンスク公位とは無縁になる。血縁からスモレンスク系諸公の一員としてとどまる、ということはなく、地縁から北東ルーシ諸公の一員となっていった。
大きくはヤロスラーヴリ系本家とモローガ系とに分かれるが、それぞれがまたさらに複数の分家を生んでいる。ヤロスラーヴリ系の領有する領土は、面積的にはおそらく北東ルーシでも有数の分領であったが、その最北部に位置し、当時はこれといった都市がほとんどなかった。このため、ヤロスラーヴリ系の分領公が領有した分領はそれぞれ非常に貧しく、場合によっては集落をひとつ、ふたつだけしか領有していない分領公などもいたらしい。
1463年には、ヤロスラーヴリ系諸公はすべてモスクワ大公の支配下に入り、分領公たちはモスクワ大公の勤務公となった。
その後、その末裔はモスクワ貴族・ロシア貴族として存続した。とはいえ、中には系譜が必ずしもはっきりしない家系もある。アラブィシェフ家、アリョーンキン家、ヴェリコガーギン家、ウシャートィイ家、オフリャビニン家、クベンスキイ家、クールブスキイ家、ザセーキン家、シチェティーニン家、シーツキイ家、シセーエフ家、シャストゥーノフ家、シュモロフスキイ家、デーエフ家、ドゥーロフ家、トロエクーロフ家、フヴォロスティーニン家、プローゾロフスキイ家、ペニコーフ家、モールトキン家、ユホーツキイ家、リヴォーフ家、等々。
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赤枠はヤロスラーヴリ公。