リューリク家人名録

ユーリイ・リヴォーヴィチ

Юрий Львович

ガーリチヴォルィニ公 князь Галицкий и Владимирский (1301-08/16)
ガリツィア・ロドメリア王 rex Galiciae et Lodomeriae (1301-08/16)

生:1252?
没:1308.04.24 / 1316

父:ガーリチ公レフ・ダニイーロヴィチガリツィア王ダニイール・ロマーノヴィチ
母:コンスタンティア (ハンガリー王ベーラ4世)

結婚①:1282
  & クセーニヤ公女? -1286 (トヴェーリ公ヤロスラーフ・ヤロスラーヴィチ

結婚②:
  & エウフェミア公女 -1308 (クヤヴィ公カジミェシュ)

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
ヤロスラーヴナと
1ミハイール-1284
カジミーロヴナと
2アンドレイ-1324ガーリチ
3レフ-1324ガーリチスモレンスク公ロマーン・グレーボヴィチ
4マリーヤ-1341トロイデン1世1284-1341チェルスク公
5アナスタシーヤ-1364アレクサンドル・ミハイロヴィチ1301-39トヴェーリ大公

第14世代。モノマーシチ(ヴォルィニ系)。

 生年については、1252年(頃)とする説が一般的なようだが、異説もある。

 1279年には父に従いクラクフに侵攻。またリトアニアやハンガリーとの戦いにも従軍している。

 1289年、ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチが死去。その遺言により、ヴラディーミル=ヴォルィンスキイは叔父ムスティスラーフ・ダニイーロヴィチに譲渡された。
 ユーリイ・リヴォーヴィチはムスティスラーフ・ダニイーロヴィチに、ブレストの割譲を要求する。拒否されると、軍を率いてブレスト、カーメネツ、ベリズを占領する。
 ムスティスラーフ・ダニイーロヴィチは戦の準備をしつつ、兄であるレフ・ダニイーロヴィチに苦情を申し立てる。レフ・ダニイーロヴィチはユーリイ・リヴォーヴィチに、占領した都市を返還しないと廃嫡すると警告した。廃嫡されてはたまらないユーリイ・リヴォーヴィチは、占領した都市を焼き打ちした上でヴォルィニを去った。

 もっとも、ユーリイ・リヴォーヴィチは焦る必要はなかったので、かれの世代で生き残っている一族はかれだけだったからだ。ムスティスラーフ・ダニイーロヴィチの没年は不明だが、1301年に父が死ぬと、おそらくガーリチ=ヴォルィニ全領をかれが相続することになった。

 ガーリチ=ヴォルィニのあるじとなったユーリイ・リヴォーヴィチだが、その治世についての情報はほとんど存在しない。
 1303年にガーリチ府主教座の設置をコンスタンティノープル総主教に認められたのが、おそらくかれの治世で唯一の記録に残る出来事だろう。

 その没年すらはっきりしない。一説には1308年に死んだとも言われる。その一方、1316年にリトアニア大公ゲディミナスがヴラディーミル=ヴォルィンスキイを攻略し、その公を戦死させたとする史料があって、この時に死んだのがユーリイ・リヴォーヴィチだとも言われる。

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