リューリク家人名録

ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチ

Владимир Васильевич

ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公 князь Владимирский (1269-89)

生:?
没:1288/89.12.10

父:ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ヴァシリコ・ロマーノヴィチガーリチヴォルィニ公ロマーン偉大公
母:ドブラーヴァ (ヴラディーミル大公ユーリイ・フセヴォローディチ

結婚:1263
  & オリガ公女 (ブリャンスク公ロマーン・ミハイロヴィチ老公

子:なし

第13世代。モノマーシチ(ヴォルィニ系)。洗礼名ヨアン(イヴァン)。

 生年は不明。両親の結婚は1226年だが、母の生年が1210年代(20年代?)なので、ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチの生年も1230年頃かそれ以降ではないだろうか。

 1262年、父とともにリトアニアに遠征。1268年にも父に従い、ポーランドに遠征。

 1269年、父が修道士となって世俗を棄てる(か、あるいはその直後に死去)。これに伴い、ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチがヴォルィニを継いだ。
 父と伯父ダニイール・ロマーノヴィチとは極端に兄弟仲が良かったが、その関係が次の世代にも引き継がれたか、ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチも従兄弟のダニイーロヴィチ兄弟と仲が良かった。ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチはダニイーロヴィチ兄弟と協調し、ヴォルィニ西部(ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ含む)を支配。しかし1272年にはヴォルィニ全土に対する統治権を与えられる。

 1270年代は一貫して、ダニイーロヴィチ兄弟とともにリトアニア人やヤトヴャーギ人との戦いに明け暮れた。特に1273年から74年の遠征では、ヤトヴャーギ人に大勝利を収めている。
 リトアニア人やヤトヴャーギ人、さらにはポーランドとの戦いが、キプチャク・ハーンの利害とも一致していたこともあり、ヴラディーミル・ヴァシリコヴィチはしばしばモンゴル軍と共同してポーランドやリトアニアと戦っている(1277年にリトアニア人と、1283年と86年にポーランドと)。
 また隣接するマゾフシェの内紛にも介入し、チェルスク公コンラトとプウォツク公ボレスワフの兄弟間の争いで、主にコンラトを支援して領土を拡大した(ただしレフ・ダニイーロヴィチは基本的にボレスワフを支援している)。

 子がなかったため、所領を従兄弟ムスティスラーフ・ダニイーロヴィチに遺譲する。
 ヴラディーミル=ヴォルィンスキイに葬られている。

 年代記は「偉大なる読書家であり哲学者」と記しており、膨大な蔵書を有し、自らも写本をしている。

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