セミョーン・イヴァーノヴィチ・リャポロフスキイ
Семен Иванович Ряполовский
公 князь
生:?
没:1503
父:イヴァン・アンドレーエヴィチ・リャポロフスキイ公 (スタロドゥーブ公アンドレイ・フョードロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
フョードル | ||||||
ヴァシーリイ | ||||||
フョードル | ||||||
ピョートル |
第16世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。モスクワ大公の勤務公。
モスクワ大公位を巡る内紛では、常にヴァシーリイ2世の与党。1446年、ヴァシーリイ2世がセールギエフ・ポサードでドミートリイ・シェミャーカに捕らえられた際には、父とともにいたふたりの幼児イヴァンとユーリイを救出し、ムーロムに逃がしている。
その後、兄弟のイヴァン & ドミートリイ、さらにはイヴァン・ストリガー=オボレーンスキイ公とともに、ヴァシーリイ2世の復位を企てる。この企てはドミートリイ・シェミャーカに漏れるが、その派遣した軍を撃退。リトアニアに亡命するが、同じくそこに亡命していたセールプホフ公ヴァシーリイ・ヤロスラーヴィチと語らってモスクワに侵攻。ヴァシーリイ2世の復位を勝ち取った。
1492年、イヴァン3世大帝の命により、ウーグリチ公アンドレイ・ゴリャーイを自らの手で逮捕する。