ムスティスラーフ・ユーリエヴィチ
Мстислав Юрьевич
生:1218
没:1238.02.07−ヴラディーミル
父:ヴラディーミル大公ユーリイ・フセヴォローディチ (ヴラディーミル大公フセーヴォロド大巣公)
母:アガーフィヤ (チェルニーゴフ公フセーヴォロド・スヴャトスラーヴィチ真紅公)
結婚:1236
& マリーヤ 1220-38
子:?
第11世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。ユーリイ・フセヴォローディチの三男。
1237年、モンゴル軍がリャザニを蹂躙し、さらに北東ルーシに侵攻してきた。1238年、父は軍を召集するためヤロスラーヴリに赴き、ヴラディーミル(都市)の防衛は長兄フセーヴォロドとムスティスラーフに委ねられた。
2月3日、モンゴル軍はヴラディーミル(都市)に侵攻。門前で、捕虜となっていた次兄ヴラディーミル・ユーリエヴィチが見せしめとして殺された。これを見てフセーヴォロドとムスティスラーフはすぐさま出撃しようとしたが、総督ピョートル・オスリャデュコヴィチに留められた。
2月7日、モンゴル軍の総攻撃により、新市街が、続いて旧市街も陥落。ムスティスラーフ・ユーリエヴィチは家族ともどもモンゴル軍に殺された。