イヴァン・ペトローヴィチ・ロモダーノフスキイ
Иван Петрович Ромодановский
公 князь
生:?
没:1607−アーストラハン
父:ピョートル・ボリーソヴィチ・ロモダーノフスキイ公 (ボリース・ヴァシーリエヴィチ・ロモダーノフスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
イヴァン | -1610 | |||||
グリゴーリイ | ||||||
イヴァン | -1675 |
第19世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。ロシア貴族。
1580年代末から、オドーエフやトゥーラなど、南方で総督・軍司令官を歴任。同時に1592年にはノーヴゴロドから出撃してネヴァ河畔でスウェーデン軍と戦い、ヴィープリ(現フィンランド)に侵攻している。
その経歴はほとんど兄(?)グリゴーリイ・ペトローヴィチと重複しており、1598年にはともにボリース・ゴドゥノーフによって対クリミア・タタール防衛のためトゥーラに派遣されている。
1607年、ペルシャに使節として派遣される。その帰途、アーストラハンにてカルムィク人に殺された。