ヴァシーリイ・ダニイーロヴィチ・ホルムスキイ
Василий Даниилович Холмский
公 князь
生:?
没:1524−ベロオーゼロ
父:ダニイール・ドミートリエヴィチ・ホルムスキイ公 (ホルム公ドミートリイ・ユーリエヴィチ)
母:?
結婚:1500
& フェオドーシヤ公女 1485-1501 (モスクワ大公イヴァン3世)
子:?
第18世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。モスクワ大公の勤務公。
父同様、モスクワ大公イヴァン3世の下で軍司令官として活躍する。
1492年と95年、ノーヴゴロド遠征に従軍。1502年にはスモレンスク遠征に従軍。
1505年にイヴァン3世が死んだ後も、後を継いだヴァシーリイ3世の下、従前通りの活躍を続ける。
1507年にはカザン遠征を指揮。さらに転進してムスティスラーヴリでリトアニアとも戦う。
1508年、スモレンスク戦線における対リトアニア戦を指揮。モジャイスクを出てヴャージマへ、さらにドロゴブージュへ。リトアニア軍を破ってドロゴブージュを、さらにスタロドゥーブを占領し、ブリャンスクに進軍。
しかしこうして輝かしい戦績を積み重ねている最中の1508年、突然逮捕される。理由は不明。ベロオーゼロのキリーロ=ベロゼルスキイ修道院に拘留され、当地で生涯を終えた。