イヴァン・ミハイロヴィチ・テリャーテフスキイ «ヴァトゥータ»
Иван Михайлович Телятевский "Ватута"
公 князь
ボヤーリン боярин (1495-)
生:?
没:1512
父:テリャーテフ公ミハイール・フョードロヴィチ (テリャーテフ公フョードル・アレクサンドロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ピョートル | ||||||
ドミートリイ | ||||||
ヴァシーリイ |
第19世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。モスクワ大公の勤務公。
系図によれば、同じイヴァンという名の兄がいたらしいが、系図以外には知られていないし、子孫も残さなかったらしい。事実上イヴァン・ミハイロヴィチ・ヴァトゥータが父の跡継ぎであったわけだが、父はすでに1485年には分領テリャーテフを放棄してモスクワ大公の勤務公となっており、イヴァン・ヴァトゥータが継ぐべき分領は存在しなかった。
1490年代から軍人として活動を始めたようである。とすると1470年前後の生まれということか。リトアニアとの戦いなどに派遣されているが、これといって名を残す活躍をしているわけではない。
かれの子孫はヴァトゥーティン=テリャーテフスキイと呼ばれた。