イヴァン・アンドレーエヴィチ・ミクーリンスキイ «ルーグヴィツァ»
Иван Андреевич Микулинский "Лугвица"
公 князь
生:?
没:1525
父:ミクーリン公アンドレイ・ボリーソヴィチ (ミクーリン公ボリース・アレクサンドロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:なし
第19世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。モスクワ大公の勤務公。
アンドレーエヴィチ兄弟の生年は不明だが、単純に考えると1470年代か。
父は1485年にトヴェーリ大公領がモスクワに併合された際に、自身の分領を失い、モスクワ大公イヴァン3世の勤務公となっている。ボヤーリンとされたのだから厚遇されたと言えるだろう。
この時点ではイヴァン・アンドレーエヴィチはまだ若かったと想像される。兄ヴラディーミル・アンドレーエヴィチは早くも1480年代末から史書に登場するが、イヴァン・アンドレーエヴィチは世紀が替わってから。
1507年、ノーヴゴロド=セーヴェルスキイよりリトアニアに進撃。1508年にもドロゴブージュから攻め込む。1513年にはスモレンスク遠征に従軍。しかしスモレンスクは陥とせず、1514年には本隊がスモレンスクを攻撃している間、トゥーラでの陽動作戦にまわされた。
その後もリトアニアとの戦闘に従事する。