フョードル・フョードロヴィチ
Федор Федорович
ミクーリン公 князь Микулинский (1435-55)
生:?
没:1455?
父:ミクーリン公フョードル・ミハイロヴィチ (トヴェーリ大公ミハイール・アレクサンドロヴィチ)
母:アンナ (フョードル・アンドレーエヴィチ・コーシュカ)
結婚:?
子:?
第16世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
フョードル・ミハイロヴィチの次男。兄アレクサンドルがいたので、両親の結婚が1390年頃であることからして、フョードル・フョードロヴィチの生年は1390年代前半というところか。
1407/10年頃に父が死去。分領は兄と分割されたと思われるが、フョードル・フョードロヴィチの取り分は不明。
それどころか、フョードル・フョードロヴィチの生涯についてもよくわからない。そもそも年代記には一度も言及されていない。いくつかの公文書や条約に名前が挙げられている程度である。
兄は1435年に死んだと考えられるが、いくつかの文献では兄の死後にミクーリン公になったとされている。しかし兄には息子がおり、兄の死後にミクーリン公になったのは兄の息子だとする文献もある。上記のように正確には不明だが、おそらく父の死でフョードル・フョードロヴィチもいずこかに分領をもらったと考えられるので、ミクーリンそのものは兄の死後は兄の遺児が相続したと考える方が妥当であろう。