ボリース・アレクサンドロヴィチ
Борис Александрович
ミクーリン公 князь Микулинский (1455-61)
生:?
没:1461.02.10
父:ミクーリン公アレクサンドル・フョードロヴィチ (ミクーリン公フョードル・ミハイロヴィチ)
母:マリーヤ (ヤロスラーヴリ公イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・ボリショーイ)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | アンドレイ |
第17世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
両親の結婚は1412年とされているので、ボリース・アレクサンドロヴィチの生年は1410年代前半と見ていいだろう。
父は1435年頃に死去。父の死後、ミクーリンは叔父フョードル・フョードロヴィチが継いだとする文献が多いが、遺児であるボリース・アレクサンドロヴィチが継いだとする文献もある。
1447年にショシャ河畔に聖ボリース・聖グレーブ教会を建立したことが知られている。