セミョーン・ロマーノヴィチ
Семен Романович
メゼツク公 князь Мезецкий
生:?
没:?
父:メゼツク公ロマーン・アンドレーエヴィチ (メゼツク公アンドレイ・シュティーハ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
ヴァシーリイ | ||||||
アンドレイ | ||||||
イヴァン | ||||||
ピョートル | ||||||
フョードル |
第18世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。モスクワ大公の勤務公。
1492年、リトアニア大公の下を離れてモスクワ大公イヴァン3世大帝に仕える。1494年、リトアニアとモスクワの条約で、セミョーン・ロマーノヴィチのモスクワ大公への臣従が確認された。
以後、イヴァン大帝の下で軍を指揮してリトアニアと戦う。
1495年にはイヴァン大帝とともにノーヴゴロドへ。1501年にもノーヴゴロドの代官。
1512年のスモレンスク攻囲戦にも携わったが、直接スモレンスクに赴くのではなく、南方でリトアニア左翼軍を牽制する役割を担った。