イヴァン・ドミートリエヴィチ・シュイスキイ «グーブカ»
Иван Дмитрьевич Шуйский, "Губка"
公 князь
生:?
没:1560
父:ドミートリイ・ヴァシーリエヴィチ・シュイスキイ公 (ヴァシーリイ・フョードロヴィチ・シュイスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ヤン | -1610 |
第20世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。モスクワ大公の勤務公。
1536年頃、リトアニアに亡命。ポーランド=リトアニア系のシュイスキイ家 Szujski の祖となる(ただし公の称号は失った)。
分領公としてリトアニアに臣従した上流諸公と異なり、モスクワ大公の勤務公でありながらリトアニアに亡命したのは非常に珍しく、主なところではこのイヴァン・ドミートリエヴィチ以外にはアンドレイ・クールブスキイ公ぐらいであろう。1536年当時は、幼帝イヴァン4世雷帝に代わってその母后エレーナ・グリンスカヤが権力を握っており、シュイスキイ一族は逼塞を余儀なくされていた。イヴァン・ドミートリエヴィチの亡命は、おそらくその辺りに要因があったのだろう。
添え名の «グーブカ» は「唇」のこと。