イヴァン・アンドレーエヴィチ・シュイスキイ
Иван Андрвеевич Шуйский
公 князь
ボヤーリン боярин (1566-)
生:1533?
没:1573
父:アンドレイ・ミハイロヴィチ・シュイスキイ公 (ミハイール・ヴァシーリエヴィチ・シュイスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | アンドレイ | -1589 | ||||
2 | ヴァシーリイ | 1552-1612 | (ツァーリ) | エレーナ | -1592 | ミハイール・ペトローヴィチ・レプニーン公 |
マリーヤ | -1626 | ピョートル・イヴァーノヴィチ・ブイノーソフ公 | ||||
3 | ドミートリイ | -1612 | エカテリーナ | マリュータ・スクラートフ | ||
4 | イヴァン・プーゴフカ | -1638 | ||||
5 | アレクサンドル |
第20世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。ロシア貴族。
父は一旦権力を握ったものの、1543年にイヴァン4世雷帝の命で処刑される。
幼くして父を失ったが、1557年頃から軍務を開始。クリミアやポーロツクへの遠征に従軍したほか、主に南方で軍を指揮。1569年にはスモレンスク総督として、対リトアニアの最前線に立つ。イヴァン4世雷帝のノーヴゴロド遠征にも従軍した。
出自からすると勤務公で、地位からするとボヤーリンでもあったが、おそらくオプリーチニクであったと考えられている。
その後もリヴォニア戦争で活躍したが、1573年、戦死。