聖エヴドキーヤ・ドミートリエヴナ
Св. Евдокия Дмитрьевна, Евфросиния Московская
公女 княжна
大公妃 великая княгиня Московская (1366-)
生:1353
没:1407.07.07−モスクワ
父:ニジェゴロド=スーズダリ大公ドミートリイ・コンスタンティーノヴィチ (スーズダリ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ)
母:ヴァシリーサ (ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ)
結婚:1366
& モスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイ 1350-89
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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ドミートリイ・ドンスコーイと | ||||||
1 | ダニイール | -1379 | ||||
2 | ヴァシーリイ | 1371-1425 | モスクワ | ソフィヤ | 1371-1453 | リトアニア大公ヴィタウタス |
3 | ソフィヤ | -1427 | フョードル・オーリゴヴィチ | -1427 | リャザニ大公 | |
4 | ユーリイ | 1374-1434 | ズヴェニーゴロド | アナスタシーヤ | -1422 | スモレンスク大公ユーリイ・スヴャトスラーヴィチ |
5 | マリーヤ | レングヴェニス | 1355?-1431 | リトアニア大公アルギルダス | ||
6 | アナスタシーヤ | イヴァン・フセヴォローディチ | -1402 | ホルム公 | ||
7 | セミョーン | -1379 | ||||
8 | イヴァン | 1380-93 | ||||
9 | アンドレイ | 1382-1432 | モジャイスク | アグリッピナ | スタロドゥーブ公アレクサンドル・ミハイロヴィチ | |
10 | ピョートル | 1385-1428 | ドミートロフ | エヴフロシーニヤ | ||
11 | アンナ | 1387- | スタロドゥーブ公パトリカス | トゥーロフ=ピンスク公ナリマンタス | ||
12 | コンスタンティーン | 1389-1433 | ウーグリチ |
第15世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。
父と夫とはヴラディーミル大公位を巡って激しく争っていたが、それも1363年には決着がついた。さらに1365年には、父は夫の支援を得てニージュニイ・ノーヴゴロドを獲得している。
こうしてドミートリイ・ドンスコーイとの協調路線に転じた父により、1366/67年、エヴドキーヤ・ドミートリエヴナはドミートリイ・ドンスコーイと結婚させられる。
典型的な政略結婚だったが、年代記の伝えるところによると、夫婦関係は円満で、エヴドキーヤ・ドミートリエヴナは幸福な結婚生活を送ったらしい。
1389年、夫が死去。嫡男ヴァシーリイはすでに17歳で、エヴドキーヤ・ドミートリエヴナは特に政治に口を挟んでいない。
代わりに(?)、教会や修道院の建設には力を注いだ。中でもクレムリンのヴォズネセンスキイ女子修道院が有名だが、ほかにペレヤスラーヴリにもゴリツキイ修道院と洗礼者ヨハネ生誕教会などを建立している。
1407年、ヴォズネセンスキイ女子修道院で修道女に(修道名エヴフロシーニヤ)。しかしその直後に死去。ヴォズネセンスキイ女子修道院に葬られた(革命後アルハンゲリスキイ大聖堂に改葬)。