アレクサンドル・グレーボヴィチ
Александр Глебович
スモレンスク大公 великий князь Смоленский (1297-1313)
生:?
没:1313
父:スモレンスク大公グレーブ・ロスティスラーヴィチ (ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | ||||||
1 | イヴァン | -1359 | スモレンスク | |||
2 | ヴァシーリイ | -1314 | ブリャンスク | |||
? | ドミートリイ | ブリャンスク |
第14世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
生年は不明。1255年頃としている文献を見たことがあるが、根拠はわからない。とはいえ、種々考え合わせてみると、おおよそそんなところだろう。
1278年、父が死去。スモレンスク大公位はその後、ふたりの叔父ミハイールとフョードル黒公が相次いで相続した。
その間、アレクサンドル・グレーボヴィチがどこを分領としていたのかは不明。ムスティスラーヴリ公だったとする文献もあるが、叔父のミハイール・ロスティスラーヴィチと同様、この時期分領になりそうな都市がムスティスラーヴリしかないから、ということではないだろうか。
スモレンスク大公のフョードル黒公は、しばしばサライに伺候していたし、本領のヤロスラーヴリは遠く離れた北東にあったので、そちらに赴く際にもスモレンスクを留守にした。このような時にスモレンスクを統治したのがアレクサンドル・グレーボヴィチだとも言われる。
1297年、フョードル黒公よりスモレンスクを奪う。この時同時にモジャイスクも奪ったと思われる(そして弟のスヴャトスラーフ・グレーボヴィチに与えたのだろう)。
1298年、フョードル黒公は軍勢を催し、スモレンスクを長期にわたり攻囲。しかしアレクサンドル・グレーボヴィチは護り通し、フョードル黒公はヤロスラーヴリに虚しく帰っていった。
このようにアレクサンドル・グレーボヴィチがスモレンスク大公位を奪い、それを護り抜くことができたのも、スモレンスク市民の支持があったからだと言われる。
1301年、事情は不明だが、アレクサンドル・グレーボヴィチは弟ロマーン・グレーボヴィチとともにドロゴブージュを攻略。しかしドロゴブージュの救援に駆けつけたヴャージマ公アンドレイ・ミハイロヴィチにより怪我を負い、息子を殺された。
1303年、モスクワ公ユーリイ・ダニイーロヴィチにモジャイスクを奪われる。分領公だったスヴャトスラーフ・グレーボヴィチはモスクワの捕虜となる。
いつ頃かは不明ながら、チェルニーゴフ公領のブリャンスクを奪い、これを息子ヴァシーリーに与えた(もっとも、ヴァシーリイはアレクサンドル・グレーボヴィチの子ではない、とする説もある)。
1309年、弟スヴャトスラーフ・グレーボヴィチがヴァシーリイからブリャンスクを奪う。ヴァシーリイはモンゴルの支援を得て、1310年にブリャンスクを奪還した。この事件にはアレクサンドル・グレーボヴィチはかかわっていないかったようだ。このことからすると、ヴァシーリイはアレクサンドル・グレーボヴィチの子ではない、とする説にも大いに理があるように思われる。
ヴァシーリイの跡を継いでブリャンスク公となった(と思われる)ドミートリイについても、アレクサンドル・グレーボヴィチの子であるとする説とそうではないとする説とがある。
どちらにせよ、この頃からスモレンスクがブリャンスクに影響力を及ぼしはじめたという点は確かであろう。
以下、怪しげなもの、疑わしいものもすべてひっくるめて、歴代ブリャンスク公の一覧を挙げてみる。当コンテンツが基本的に依拠している Рыжов Константин. Монархи России. М., 2006 はしばしば信用ならないが、この場合はかれのリスト(こちら)の方が、虫食いだらけではあるが、よっぽど確実である(以下のリストにはかなり «想像» がまじっている)。
ブリャンスク公 | その父 | |
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1246-88 | ロマーン老公 | チェルニーゴフ公ミハイール・フセヴォローディチ |
1288 | オレーグ | ブリャンスク公ロマーン老公 |
1288 | ミハイール | ブリャンスク公ロマーン老公 |
1289-1308 | ロマーン | スモレンスク大公グレーブ・ロスティスラーヴィチ |
1308-09 | ヴァシーリイ | スモレンスク大公アレクサンドル・グレーボヴィチ/アレクサンドル・ロマーノヴィチ(ロマーン老公) |
1309-10 | スヴャトスラーフ | スモレンスク大公グレーブ・ロスティスラーヴィチ |
1310-14 | ヴァシーリイ | スモレンスク大公アレクサンドル・グレーボヴィチ/アレクサンドル・ロマーノヴィチ(ロマーン老公) |
1314-33 | ドミートリイ | スモレンスク大公アレクサンドル・グレーボヴィチ/ブリャンスク公ロマーン・グレーボヴィチ |
1333-40 | グレーブ | ブリャンスク公スヴャトスラーフ・グレーボヴィチ |
1340-56 | ドミートリイ | スモレンスク大公アレクサンドル・グレーボヴィチ/ブリャンスク公ロマーン・グレーボヴィチ |
1355-56 | ヴァシーリイ | ブリャンスク公ロマーン・グレーボヴィチ |
1356- | リトアニア領 |