ムスティスラーフ・スヴャトスラーヴィチ
Мстислав Святославич
ルィリスク公 князь Рыльский
生:?
没:1241
父:ルィリスク公スヴャトスラーフ・オーリゴヴィチ (ノーヴゴロド=セーヴェルスキイ公オレーグ・スヴャトスラーヴィチ)
母:アナスタシーヤ
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
アンドレイ | -1246 | ルィリスク | ||||
オレーグ | -1285 | ルィリスク |
第11世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
モンゴルに殺された。ただし、年代記はそれ以上詳しい話は伝えていない。1241年は、バトゥ率いるモンゴル軍本隊が、ガーリチ=ヴォルィニからさらにポーランド、ハンガリー、ルーマニアへと進撃していた頃。南ルーシに残留した部隊と何かいざこざがあったのだろうか。