ヴャチェスラーフ・ヤロスラーヴィチ
Вячеслав Ярославич
スモレンスク公 князь Смоленский (1054-57)
生:1036
没:1057
父:キエフ大公ヤロスラーフ賢公 (キエフ大公ヴラディーミル偉大公)
母:インゲゲルド (スウェーデン王オロフ課税王)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ボリース | -1078 | チェルニーゴフ |
第6世代。ヤロスラーフ賢公の子。
『原初年代記』によれば1036年の生まれ。しかし『原初年代記』はイーゴリの生年を記しておらず、ヴャチェスラーフとどちらが年長かは不明。歴史家の間にはヴャチェスラーフを五男とする者、イーゴリを五男とする者と双方がある。父の遺領分割に際して『原初年代記』はイーゴリ、ヴャチェスラーフの順で記しており、大方はこれに従ってヴャチェスラーフを六男(末男)としているようだ。
ただしタティーシチェフはイーゴリを六男としており、これを支持する者も少なくない。しかもタティーシチェフはイーゴリの生年を1036年としており、ヴャチェスラーフの生年はそれより前(1034年・35年?)ということになる。
父の死後、その遺言でスモレンスク公。
しかし年代記にはそう記されてあるが、実際にはスモレンスクはすぐ上の兄フセーヴォロド・ヤロスラーヴィチの領土とされ、ヴャチェスラーフ・ヤロスラーヴィチはそこから若干の所領をもらっただけだ、とする説がある。