ユーリイ・ヴァシーリエヴィチ
Юрий Васильевич
ベロオーゼロ公 князь Белозерский (1380-89)
生:?
没:?
父:スゴルスク公ヴァシーリイ・ロマーノヴィチ (ベロオーゼロ公ロマーン・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
1 | ダヴィド | |||||
2 | ロマーン | -1398 | ||||
3 | アンドレイ |
第16世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
家系図上でしか確認されない。
1380年、伯父のベロオーゼロ公フョードル・ロマーノヴィチとその長男イヴァンが、クリコーヴォの戦いで戦死。残されたコンスタンティーン・イヴァーノヴィチがまだ幼かったためか、あるいは一族の中でユーリイ・ヴァシーリエヴィチが最年長だったためか、ユーリイ・ヴァシーリエヴィチがベロオーゼロ公領を継いだ。
1389年までに、モスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイに分領を売却。あるいはユーリイ・ヴァシーリエヴィチがこの年までに死んだということなのかもしれない。いずれにせよ、1389年にドミートリイ・ドンスコーイが死んだ時点で、ベロオーゼロ公領はモスクワに併合されていた。