ユーリイ・アンドレーエヴィチ
Юрий Андреевич
公 князь
生:?
没:1413
父:ロストーフ公アンドレイ・フョードロヴィチ (ロストーフ公フョードル・ヴァシーリエヴィチ)
母:アントニーナ (スーズダリ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ)
結婚:?
子:?
第17世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
1398年、ノーヴゴロドがモスクワと対立し、北方で戦火を交えた。この際ノーヴゴロド軍は、モスクワ側に寝返ったアンファルなるノーヴゴロド人を追ってウーステュグにも迫った。
当時ウーステュグにいたのはユーリイ・アンドレーエヴィチで、アンファルの側につくか否かノーヴゴロド軍が問い質したところ、ユーリイ・アンドレーエヴィチはこれを否定。ノーヴゴロド軍はウーステュグをそのままにベロオーゼロ(モスクワ大公領)を焼き打ち。他方ユーリイ・アンドレーエヴィチは、その間にアンファルを保護した。