リューリク家人名録

聖ヴァシーリイ・フセヴォローディチ

Св. Василий Всеволодич

ヤロスラーヴリ公 князь Ярославский (1238-49)

生:1229
没:1249.01−ヴラディーミル

父:ヤロスラーヴリ公フセーヴォロド・コンスタンティーノヴィチロストーフ公コンスタンティーン賢公
母:マリーヤ (オレーグ・クールスキイ

結婚:
  & クセーニヤ

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
母親不詳
1ヴァシーリイ
2マリーヤフョードル黒公-1299モジャイスク公

第12世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。フセーヴォロド・コンスタンティーノヴィチの長男。

 厳密には生年は不明。しかし両親が1228年に結婚しているので、1229年頃に生まれたのだろうと推測されている。

 1238年、シーティ河畔の戦いで父が戦死。ヴァシーリイ・フセヴォローディチはいかにしてか生き残った。

 1239年、まだ10歳になったかならずかで、バトゥのもとに伺候(ちなみにバトゥはまだキエフ・ルーシを蹂躙してまわっている最中)。おそらくバトゥのもとに自発的に伺候した最初のルーシ諸公だったのではないだろうか。とはいえ、10歳で政治的な分別などあったとも思えないので、おそらくは母やボヤーリンなど周辺が赴かせたのだろう。
 そしてこの時、バトゥはヴァシーリイ・フセヴォローディチに、父の分領ヤロスラーヴリの領有を認めた。慣習に従って公位を継ぐのではなく、モンゴルの承認を得て分領を確保するというのも、おそらくヴァシーリイ・フセヴォローディチがルーシ諸公で最初。
 以後、1244年(叔父ヴラディーミル・コンスタンティーノヴィチと)、1245年(大叔父ヤロスラーフ・フセヴォローディチと)と相次いでサライに伺候している。

 ヤロスラーヴリに葬られている。

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